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2009年10月24日 (土)

「セクシャル・ハラスメント」(1)

今回から、セクシャル・ハラスメントについて書きます。直近でも大手企業の子会社で、まさに「セクハラ」を絵にかいたような事件がありました(詳しくは新聞報道を参照ください)。コールセンターでのセクハラ事件は昨年7月に提訴された、有力コンサルタント企業によるものがあり、潜在する被害はかなりあるでしょう。

コール(コンタクト・カスタマ―)センターは、自他共に認める女性の職場ですが、立場の弱いパートや契約社員・派遣スタッフが、男性と協働する場でもあります。モラルの高いセンターがある一方、目に余る行為が黙視されているケースも多いと聞きます。センター就業者の自衛のために、その歴史からひも解きます。

セクシャル・ハラスメントの歴史 
『疑問スッキリ! セクハラ相談の基本と実際』より
「セクシャル・ハラスメント」は1970年代にアメリカの女性運動の中で生まれた言葉だと言われている。それまで多くの女性労働者が職場において悩み、ストレスを抱え、場合によっては職を追われることにもなった共通の「働きづらさ」に名前が付けられた。女性が働くためには我慢しなければならないことだ、とあきらめてきたことに対して、それは人権侵害であり、告発して戦っていく必要があるものなのだとわかったのだ。
この後、アメリカの女性たちは、セクハラを訴える裁判を次々起こす。その成果として、1980年にはEEOC(雇用機会均等員会)にセクハラのガイドラインが盛り込まれた。

日本にセクハラという言葉が紹介されたのは
1980年代の後半にアメリカのハンドブックを翻訳した『日本語版 性的いやがらせをやめさせるためのハンドブック』による。これを翻訳した「働くことと性差別を考える三多摩の会」の女性たちは、セクシャル・ハラスメント1万人アンケートを行い、本にまとめて出版。そして、1989年にセクシャル・ハラスメントに関する会社の責任を問う日本で初めての裁判が福岡で提訴された。この裁判は全国的に注目され、公判には毎回全国から支援者が傍聴に詰めかけた。1992年に原告が勝訴すると、相次いでセクハラ裁判が提訴されるなど大きな影響を与えた。

TVのセクハラ裁判公聴会中継や映画『スタンドアップ』が
一方、アメリカでは、1991年に連邦最高裁判判事候補のクラレンス・トーマスをかつての部下アニタ・ヒル教授がセクハラで告発する。それを証言した公聴会が全米にTVで中継され、多くの女性たちにセクハラを告発する勇気を与えた。映画『スタンドアップ』のモデルにもなった鉱山エベレス・マインズでのセクハラ裁判にも、それは影響している。1991年には、エレベス・マインズ事件の裁判で環境型セクシャル・ハラスメント(※)の集団訴訟が認められる。その影響もあって、1996年に米国三菱自動車工場をEECOが提訴、3千4百万ドルという高額の和解金が日本に大きなショックを与えた。

※セクハラには対価型と環境型があるとされます。意に反する性的言動について、拒絶したり抗議したことをもって不利益な処遇がなされるような場合を、「対価型セクハラ」と言います。そのような報復的な仕打ちはないが、意に反する性的言動により職場環境が悪化している場合を「環境型セクハラ」と言います。『セクハラ・DVの法律相談(改訂版)』より

1997年『男女雇用機会均等法』に「事業主のセクハラ防止の配慮義務」
アメリカのこういった動きも影響して、1997年に男女雇用機会均等法に事業主のセクハラ防止の配慮義務が盛り込まれた。1999年には大阪府現職知事だった横山ノックのセクハラ事件が起こり、2000年にはセクハラによって知事を辞職、刑事裁判でも有罪判決を受けている。
2007年度施行の改正男女雇用機会均等法では、配慮義務が措置義務規定に強化され、セクハラは人権侵害であり、加害者やそれを放置した会社・大学は厳しく責任を問われるのだ、という認識が広がっている。

ここまで読んでくると、正に女の闘いの歴史ですね。日本でも1997年に男女雇用機会均等法に事業主のセクハラ防止の配慮義務が盛り込まれ、10年後には、事業主の配慮義務が措置義務規定に強化されたのは前進です。次回は、セクシャル・ハラスメントの実態を、厚生労働省の資料から検証してみることにいたします。

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