お正月にまつわる〝日本人のしきたり〟(その2)
宮中の元旦の行事が、やがて民間に広がった例として前回「おとそ」を取り上げましたが、宮中行事がルーツのお正月にかかわるしきたりはまだまだあるのです。「七草粥」も、門松や正月飾りを焼く「左義長」も、どうやらそのようなのです。毎年、歳の初めに、私たち日本人は知らぬ間に、伝統と向かい合ってきたといえそうですね。
七草粥をいただくことは、『枕草子』にも出てくる伝統行事なのです(※)
1月7日は人日(じんじつ)の節句とも呼ばれます。この日に七草粥を食べる習慣が広く定着したのは江戸時代のことですが、平安時代に書かれた『枕草子』に、すでに記述がみられます。「正月1日は」で始まる章に、「七日、雪間の若菜摘み、青やかにて・・・」とあり、宮中では古くから七種の野草を摘んで羹(あつもの)にして食べていました。
小鬼田平子(コオニタビラコ)って何? 春の七草「ほとけのざ」の現代名でした
春の七草は短歌調の「せり(芹)なずな(薺)ごぎょう(御形)はこべら(繁縷)ほとけのざ(仏の座)すずな(菘)すずしろ(蘿蔔)これぞ七草」で知られていますが、大半は現代名と異なります。「なずな」はペンペン草、「ごぎょう」は母子草、「ほとけのざ」は小鬼田平子、「すずな」は蕪(かぶ)、「すずしろ」は大根のことです。
●七草粥は、冬でも芽を出す野草の強い生命力にあやかって、邪気や万病を祓おうとしたというのが一般的ですが、神にこれを捧げて、五穀豊穣を祈るという意味もありました。最近では、お正月中、おせちをつまみ代りにお酒をたらふく召し上がった人たちが、内臓を労わるための格好の食事療法ともてはやされることもあるようです。
鏡餅はなぜ切らずに「鏡開き」といって手や小槌で割るのか?
鏡開きは、「具足開き(室町時代に武士が床の間に飾っていた鎧などの具足に備えられたお供えの具足餅を割って食べた)」に由来します。「切る」という表現は切腹を連想させるため武家社会では避けられ、「開く」という言葉が使われました。当初は1月20日でしたが、徳川三代将軍家光の忌日(月命日)と重なったため11日になりました。
1月15日は「小正月(こしょうがつ)」、地方によっては「女正月」とも
1月1日を「大正月(おおしょうがつ)」というのに対し、旧暦の1月15日を「小正月(こしょうがつ)」といいます。本来は小正月までを松の内と呼び、この期間は玄関などに門松を飾っていました。地方によっては、松の内の間に忙しく働いた女性を休ませ、男性が料理をつくって労をねぎらうという習慣もあり、「女正月」とも呼ばれます。
小正月には、「左義長」といって門松やしめ縄などの正月飾りを焼きます
この左儀長の習慣は、地方によっては「どんど焼き」「さいと焼き」などとも呼ばれています。この祭礼の由来は、平安時代の宮中で行われた火祭りだとされています。民間では豊作を祈願して、正月飾りを焼きました。別名の「さいど焼き」を「道祖土焼き」と書くように、宮中の行事が道祖神信仰と結びついたと考えられています。
※:『年中行事としきたり』(市田ひろみ著/東京書籍)
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