夏目漱石の『夢十夜』の「第六話」が教えてくれること 社会人になること④
夢十夜』はとりとめのない夢の話が十話続く漱石の初期の作品ですが、山本は学生時代、その中の「第六夜」を大変印象深く読みました。仏師運慶が仁王像を彫るところを眺め、木の中に造形が潜んでいるので彫るのは簡単との話しを真に受け、自宅にあった樫の木に鑿(のみ)を入れてみたところ、ことごとく木屑になってしまったというお話です。
『夢十夜』の「第六夜」(日本幻想文学集成「25」夏目漱石より)
運慶が護国寺の山門で仁王(におう)を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行ってみると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。(中略)
「流石(さすが)は運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我とあるのみという態度だ。天晴だ」と云って、(一人の若い男が)誉め出した。自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い方の男の方をみると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌(つち)の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。(中略)
運慶はいま太い眉を一寸の高さに横へ彫りぬいて、鑿の歯を竪(たて)に返すや否や斜(は)すに、上から槌を打ち下した。堅い木を一と刻みに削って、厚い木屑が槌の音に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒りの鼻の側面がたちまち浮き上がってきた。その刀(とう)の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念をさし挟んでおらん様に見えた。
「よくああ無造作に鑿を使って、思う様な眉や鼻が出来るものだな」と自分はあんまり感心したから独り言の様に言った。するとさっきの若い男が、「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違う筈はない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。果たしてそうなら誰にでも出来る事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめて早速家に帰った。道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出てみると、先だっての暴風雨(あらし)で倒れた樫を、薪にする積りで、木挽(こびき)に挽(ひ)かせた手頃な奴が、沢山積んであった。
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めてみたが、不幸にして、仁王は見当たらなかった。その次にも運悪く掘り当てる事が出来なかった。3番目のにも仁王は居なかった。自分は積んである薪を片っ端から彫ってみたが、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているのはなかった。遂に明治の木には到底仁王は埋まっていないものだと悟った。
●『夢十夜』は幻想的な作品ですが、山本はこの「第六話」には貴重な教訓が語られていると思います。たとえ豊かな潜在能力を持っていたとしても、技術(知識・見聞)を身に付ける前に彫り出そうとすると、せっかくの資質を台無しにしてしまう恐れがあります。新社会人には、確りと自分の可能性を見定め、納得のいく自分像を彫り出していただきたいですね。
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