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2014年1月 8日 (水)

「初心忘るべからず」   『白州正子全集(第10巻)』より

まったく同じタイトルの文章が、『白州正子全集』の第3巻にもあるのですが、こちらは世阿弥や『花鏡』について本格的に書かれたものですので、今回は、かみ砕いて書いてくださっている第10巻の「初心忘るべからず」を紹介します。6年半前に研修講師として独立した際の初心を忘れないための、山本の自らの戒めでもあります。

近ごろはスポーツ選手やタレントでも、「初心に返って出直します」なんてことをいう。マンネリズムから脱して、始めたときの新鮮な気持ちに返るというのは必要なことだし、結構な心がけでもある。だが、人間は、そうたやすく昔に返れるものだろうか。過ぎ去った過去は、二度とふたたび返ってはこない。まして、出直すことなど不可能ではないかと私は思う。

世阿弥は、「花鏡」で“初心”に触れ、それを三つに分けて考えた
「初心忘るべからず」「時々の初心を忘るべからず」「老後の初心を忘るべからず」

「初心忘るべからず」とは、若い時の初心を忘れないように保持していれば、老後になってさまざまな得がある、昔おかした失敗を、くり返さずにすむからだ。
反対に、もし若年の未熟な芸を、その場限りで忘れてしまったら、現在自分の居る位置(芸鏡)も、自覚することはできない。

世阿弥にとって、初心とは、未熟な技の代名詞にほかならなかった。いま私たちが考えているような精神的な意味はなく、「新鮮な気持ち」などという漠然とした抽象論でもない。くり返していえば、人間が成長するためには、過去の数々の失敗や短所が糧となる。だから未熟な初心時代を忘れてはならないといったのである。

「時々の初心」については、若年から、壮年を経て、老後に至るまで、その年齢と肉体条件にかなったことをする。だが、もしその時かぎりで、仕捨て仕捨てして忘れてしまうならば、今日ただいまの身に合ったことしかできなくなり、全体にわたる視野を失ってしまう。

「老後の初心」についても同じことで、心身ともに衰えた老人に、似合ったやり方を発見する。老人にとっての工夫とは、無理をせず、何事もひかえ目に行うことによって、若者には望めぬ味を発揮することができる。

「せぬならでは、手立てなきほどの大事を、老後にせんことを、初心にてはなきや」
というわけで、世阿弥の初心は、あくまでも前向きで、過去へ返って出直すことではなかった。それが芸に若さを保つ所以でもあった。

※:『白州正子全集(第13巻)』(白州正子著/新潮社)

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