「新年」 『白州正子全集(第13巻)』より
お正月に必ず思い出すのが白州正子さんです。昨年(2013年)2月27日に「日本人のしきたり」シリーズでも、『白洲家としきたり』を取り上げました。襟を正して新しい年の第一歩を踏み出そうとするとき、凛としたその姿勢、生きざまに少しでも近づきたいとの思いがあるからでしょう。年初の第2回はご著書から「新年」です。
一休さんが、元旦に、髑髏(がいこつ)を持ち歩いて、おとそで浮かれている人たちの夢を醒ましたのは有名な話だが、今さら一休さんを気どってみても、西洋流に満で年齢を数えるようになって以来、お正月が来たからといって、冥途(めいど)に一歩近づいたという感慨は誰にも湧かないであろう。何となくウハウハ暮らしているうちに、ウハウハ死んでしまうのが実情かもしれない。
ウハウハと書いて気づくのは、近ごろの浮ついた風潮を、何とよく表している言葉だろうと感心する。テレビの深夜放送などで、ちっとも面白くない司会者の笑談を、恥も外聞もなく大口あいて笑っている人たちを見ると、ウハウハを絵にかいたような表情をしている。このような新語を発明する日本人は、よほどの天才に違いないと、またしても私は感心するのだが、その笑い顔はいかにもそらぞらしく、主体性のないことを心の底では悲しんでいるように見えなくもない。
昨日もある雑誌社からこんな電話がかかってきた。――あなたは旅行好きだから、かくれたところにある温泉場や、静かな宿屋を知っているだろう、新年号のために、そういう秘境を教えてくれ、という。(本稿の執筆は11月半ば:山本注)
たしかにそういう場所をまったく知らないわけではない。が、教えたとたんに大勢人がやって来て、秘境が秘境でなくなるに決まっている。けちなことをいうようだが、大切なところだから発表するわけにはいかないと断ると、では二番手でもいいから教えてほしい、と食い下がる。二番手なんかに私は興味がないのだと答えると、やっと許してくれた。
人が何十年もかかって探したかくれ家を、電話一本で聞き出そうなんて、いい気なもんだと思ったが、これは黙っていた。あまりしょっ中のことだから、思うことにも飽いたというのが本音である。編集者は商売だから同情すべき点はあるのだが、せめて書かないでいてくれたら、読者は勝手に自分で探そうとするに違いない。どんな小さなものでも、自分で発見することの悦(よろこ)びにまさるものはない。これからの雑誌やテレビは、出来合いのものを頭から押し付けるのではなしに、そういうことのたしなみを教えるべきではないだろうか。
はるかなる 岩のはざまに ひとり居て 人目つつまで 物思はばや
これは西行の恋歌であるが、必ずしも恋歌と決める必要はないし、また寂しさを囲っているのでもない、ひとり居の豊かさを楽しんでいるのである。
※:『白州正子全集(第13巻)』(白州正子著/新潮社)
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