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2014年7月

2014年7月31日 (木)

一滴の涙に潜むものを「心の眼で正しく見る」 『ニューモラル』珠玉の言葉(5)

今日の電気工学の基礎をつくったといわれるイギリスのM・ファラデー(化学者、物理学者、1791-1867)が、医科大学の学生に講義をしていたときのことです。ある日、教壇に立つと、小さな一本の試験管を掲げて、次のように話し出しました。

「諸君、この中に入っているのは、いったい何だと思う」
けげんな顔つきで見つめる学生たちに向かって、ファラデーは静かに説明を始めました。
「実は、底のほうにある少量の液体、これは涙だ。昨日、ある学生の母親が、私のところに相談に見えて、息子のことで苦悩を打ちあけ、机にうち伏して泣いておられた。そのとき、机の上に流された涙がこれだ。

いいか諸君、君たちはみな医者の卵だ。だから、この涙を科学的に分析するぐらいは、朝めし前の仕事だ。だが大事なことは、そんな分析ではない。
この涙の中には、母親の深い苦悩と、限りない愛情がこもっているのだ。その苦悩や愛情は、どうしたら分析できるのか。いかに科学や医学の力をもってしても、それだけは分析不可能だ」

学生たちは、しだいに感動に包まれていきます
「諸君は医者としての立場上、なにごとも医学的、科学的、合理的に割り切ろうとする。検査の結果が示すデータだけが真実であり、すべてだと、つい思いこんでしまいがちだ。だが、それだけで十分な治療ができるだろうか。それだけが、人生や物事のすべてではないことを、こそ肝に銘じてほしい」

そして最後に、次のように話しました
「大事なことは、澄みきった、温かい思いやりの心、そうした心の眼(まなこ)で正しく見ることを忘れたら、機械と同じで、もはや人間ではない。医者である前に、まず血も涙もある、温かい心の人間であってほしい」(小島昭安『心をたがやす』より)

澄みきった、温かい、思いやりの心、そうした心の眼で正しく見ること――この言葉には、一人ひとりの喜びや悲しみを感じとり、一人ひとりの人間の重みを大切にしていこうという願いが込められています。

現在の私たちは、コンピューターや通信機器などが高度に発達した情報化社会の中にあって、人と接しても、ともすれば心のふれ合いのない、一人ひとりの重みを無視した対応や処理に追われてしまっているのではないでしょうか。120年以上も前のファラデーのこの話は、なんでも科学的、合理的に割り切ろうとする傾向のある今日、大きな戒めになるように思います。

出典:モラロジー研究所刊『ニューモラル No.257(平成3年1月号)』より

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2014年7月27日 (日)

綱引きから「一人ひとりの重みに気づく」 『ニューモラル』珠玉の言葉(4)

本年5月23日に全国定時制通信制高等学校長会(会場:代々木オリンピックセンター)で、「教育現場で、スポーツ界でコーチングスキルはどのように活用されているか!」の講演をさせていただいたご縁で、幸いなことに、その後、校長先生方とお話させていただく機会が増えました。そして都度思うことは、教育の現場の厳しさを漂わせながらも、心がとてもお優しい方が多いということです。

若い女性教師の瑞々しい感動を、そのまま受け止める校長先生の度量
ある山間の小学校での出来事です。秋の運動会が近づいたある日、一年生の受け持ちの若い女性教師が、校長先生に次のような話をしました。

「校長先生、不思議なことがあるんです。私のクラスは全部で21人なので、綱引きをするのに赤白に分けると、10対11人になります。
そこでまず、1回めの勝負をしたところが、11人の白が勝ちました。
次に一人を紅組のほうに移して勝負をしたら、今度は赤の勝ちでした。
このようにして、何回勝負しても、11人になったほうが勝つのです。一人の子どもがこんなに大事だと思ったのは初めてです」

その教師は、自分の発見に感動しているようでした。それを聞いた校長先生も「なんという素晴らしいことだ。これは大発見だよ。私は長年教師をしてきたが、こんなに具体的に『1人の重み』を感じたことはなかった。いい体験をすることができて、幸せだったよ」と感動し、その女性教師に感謝しました。

これは、当時の校長・毛涯(けがい)章平氏が、自著『ふきのとうの餞別』(第一法規出版)の中で紹介している思い出話です。

私たちはよく、「一人ひとりを大切に」とか「一人ひとりはかけがえのない存在」という話を聞きます。言葉ではそれが分かっていても、周囲の人を心から「かけがえのない人」と考えて接することは、なかなかむずかしいようです。

一人の人間は、他の何をもってしても代えることのできない存在です。あなた自身も、そしてあなたの周囲にいる一人ひとりも、それぞれの重みを持った、まさにかけがえのない人なのです。

私たちは、人と人とのかかわり合いの中で生活しています。毎日の生活の中で、気の合う人との楽しいひとときもあれば、心の打ち解けない人と接することもあります。これらの関わり合いの中で、一人ひとりの重みを感じ、お互いを成長させていけたなら、どんなにすばらしいことでしょう。

出典:モラロジー研究所刊『ニューモラル No.257(平成3年1月号)』より

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2014年7月24日 (木)

無言のはげましは 人を感動させる  『ニューモラル』珠玉の言葉(3)

今回のお話には落語家がお二人(三遊亭円朝、桂文治)登場します。こちらの世界の知識がまったくない筆者ですので、ひょっとすると間違っているかもしれませんが、三遊亭円朝さんは、初代の三遊亭圓朝(1839-1900)のこと。そして桂文治さんは6代目桂文治(1843-1911)さんが該当すると思われます。

円朝の心に文治は泣いた
人情話と怪談を得意とし、名人と言われた三遊亭円朝は、落語会の復興に力を尽くした人としても知られています。

ある時、円朝がその才を認めた若手の桂文治が、円朝の出ている寄席(よせ)とはあまり遠くない寄席へ競って出たことがありました。当然ながら円朝のほうへ客足は繁く、文治のほうは閑古鳥が鳴く始末です。文治はすっかりくさってしまいました。

ところが三日ばかりたったころ、円朝が急病で休演ということになりました。客足が文治の方に流れ、流れた客は改めて文治の芸を認めました。

文治は内心で得意になりながら、円朝のもとへ見舞いに行きました。ところが円朝は病気どころか元気いっぱいです。割り切れない気持ちで文治は帰ってきましたが、後でその理由を聞いて感激のあまり泣きました。

円朝は、文治の芸を客に認めさせるために、仮病を使ったのでした。これはまさに無言のはげましと言ってよいでしょう。文治は一大奮起してますます芸にみがきをかけ、落語界復興の一翼を担うことになったのです。

はげまし――それは人を奮起させ、生きることの自覚をうながすものであるのです。愛と思いやりに満ちた励ましはいわば、人間の力を根源から湧きたたせるカンフル剤と言ってよいでしょう。

●初代の三遊亭圓朝は、幕末から明治への時代の移り変わりに翻弄されて、すっかりさびれてしまった落語界の復興に尽力した人として知られています。師事した師匠から想像を絶する冷たい仕打ちを受けながら、その遺族の面倒をきちんとみたそうです。修行時代の辛酸は、芸ばかりでなく人格までをも磨きあげてくれたのですね。

出典:モラロジー研究所刊『ニューモラル No.168(昭和58年8月号)』より

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2014年7月20日 (日)

大学教授が柔軟思考で「こころを考える」 『ニューモラル』珠玉の言葉(2)

筆者は先日、千代田図書館で貸し傘を利用させていただきました。そして、最寄駅(地下鉄九段下)手前のコンビニでビニール傘を買い、早速返却に戻りました。そのような行動に駆り立てるのは、以前『ニューモラル』誌で立派な文章に出会っていたからです。今回は、よい習慣を身につけるきっかけとなった思い出深い作品の紹介です。

貸し傘を返す時(麗澤大学教授 浅野栄一郎)
ちかごろは物資が豊かになったせいか、どこでもにわか雨用の貸し傘の備えのあるのに気付きます。それも田舎の辺鄙な小駅で、土地の有志が寄付したのでしょう、そのような傘のあるのには大変助かります。私もある時、田舎の知人宅に用足しに行った時、この緊急傘の恩恵にあずかって、改めて思い付いたことがあります。

午後から降り出した天候は、夕方、列車がその駅に到着するころには本降りになっていました。困ったなあと思うものの、列車が着けば降りない訳にはいきません。

駅から知人宅までは五百メートル程ですが、この雨ではズブ濡れになります。タクシーもありません。良い思案もなしに数分間たたずんでいると、誰かが、貸し傘がありますよ、と声をかけてくれました。私ほか数人の人がドッとその方に小走りに行きますと、傘はあと数本しか残っていません。借りる人の数と傘の数を数え合わせると、私が一番最後です。

帳簿に名前を記入し、一本一本手渡してくれる駅員に、各自ていねいにおじぎして、それぞれの方向に出かけました。私も、ああ、これで良かったな、と思いながら歩き出しました。が、道々思いついたことは、あの後、借りられなかった人はどうしたんだろう、ということでした。運が悪いと言ってしまえばそれまでですが、つい先程まで私も困っていた一人であったことを思い合わすと、何とも気の毒に堪えられませんでした。

いろいろ考えながらやがて知人宅に着くや、私は挨拶もそこそこに事情を話して、その家から別の傘を借り、今、さして来た駅の貸し傘を返してきます、といいました。すると知人は驚いたと同時に大笑いをして、「傘はあした、こちらで干して返しておきます。この雨の中を返しに行かなくてもよいではないですか」と。

そこで私は「今、雨降りの中ですからこそ、傘を持たない人には、なおさら必要です。あした晴れてしまえばこの傘の必要性はなくなりますから」と言って止めるのも聞かずにまた駅に引き返しました。が、私がその傘を駅員に返したちょうどその時、次の列車が到着して、先と同様、傘を持たない数人の客がドッと殺到し、今の今、私が返したタッタ一本の傘が、再び別の人に渡されました。
私は、これでいいのだ、と自らの心の休まるのを感じました。

出典:モラロジー研究所刊『ニューモラル No.65(昭和50年1月号)』より

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2014年7月17日 (木)

俳人の豊かな感性で「こころを考える」 『ニューモラル』珠玉の言葉(1)

千葉県柏市に、倫理道徳の研究と、これの基づく社会教育を推進する研究・教育団体のモラロジー研究所があります。先日こちらをお訪ねし、1969年創刊の『ニューモラル』の定期購読(1冊40円)を申し込みました。バックナンバーは国会図書館で読みましたが、中には珠玉の名言がいっぱい詰まっており、その内容を順次紹介します。

「無財の七施」(俳人 楠本憲吉)
先日、八重洲口からバスに乗った。わりに混んでいて満席で立っている人もかなりいた。私は入り口近くで、吊り革にぶら下がって立っていた。私の前の席には若い女の子が笑って文庫本を読んでいた。

次の停留場から足の不自由な中年の男性が杖を一本ついて乗って来た。それを素早く見た、件(くだん)の少女は、すっと席を立ち
「どうぞ」
といってその男性に席を譲った。男性は素直に
「有難う」
といってその席に座った。少女は
「いいえ」
と答え、ニッコリ笑った。

わずか十数秒の出来事であったが、私は感動した。
仏教に「無財の七施」という言葉があって、人は誰でも、お金がなくても病人であっても、七つの施(ほどこし)ができるというのである。その七施の中に「言施」、「顔施」、「心施」というのがある。

「どうぞ」「有難う」「いいえ」という美しい日本語のやりとりは、まさに「言施」そのものである。少女が見せた微笑はまさに「顔施」である。そして席を譲ったその思いやり、やさしさこそ「心施」そのものである。
そして、この「やさしさ」「思いやり」「ほほえみ」「美しいことばづかい」こそ、人間の色気ではあるまいか。
私はこの少女に年甲斐もなく素晴らしい色気を感じた。
その少女は私のことなど眼中になく次の停留場で下車してしまったが、私はその日、いつまでもすがすがしい思いが心に残ったのであった。

出典:モラロジー研究所刊『ニューモラル No.56(昭和49年4月号)』より

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2014年7月13日 (日)

巣鴨信用金庫のホスピタリティはやはり思っていたとおりでした!

先日、世界に一冊のユニーク絵本を取り扱う友人と、2つの市場調査で巣鴨に行って参りました。巣鴨といえば「おばあちゃんの原宿」として有名で、シルバー層を観察するには申し分ありません。そして、研修講師としての筆者のもうひとつの目的は、ホスピタリティを語る上で欠かすことができない「巣鴨信用金庫」の訪問でした。

10年以上前に掲げたモットーが脈々と受け継がれていました(※1)
巣鴨信用金庫は2004年度「学生に聞く企業の採用活動満足度」において総合ランキング1位を獲得。当時から同信金は「喜ばれることに喜びを」をモットーに掲げていましたが、今日でも職員の名刺には先の文言がきちんと置かれています。そして、来客応対の担当者は、立って出迎え、立ってお見送りを励行していました。

一杯の麦茶が思い出させた、ホスピタリティの真髄(※2)
筆者が入店すると、本店営業部 お客さまサービス課の主任が丁寧に応対し、訪問目的を伝えると、創合企画部* 広報担当 課長代理に取り次いでくださいました。その応対ぶりは、多くの専門家の評価に違わぬとても爽やかなものでした。そして、その都度冷えた麦茶のサービスを受けながら、筆者はあるエピソードを思い出しました。
*創合企画部の「創」は誤植ではありません。同部名で出版もなされています。

ある夏の日、お待たせしたお客様の応対に同金庫創合企画部の責任者が赴くと、「この麦茶、すごいですね」といきなり褒められました。理由は、麦茶を一気に飲み干したところ、グラスに残った氷が茶色かったから。それは職員が、氷が溶けても麦茶が薄くならないように、麦茶を凍らせた配慮にお客様が気づかれたからでした。

「100-1=0」という金融サービス業の方程式(※3)
同信金は1997年に現理事長の田村和久氏の就任を機に、金融機関から金融サービス業への転換を目指します。その折職員に向けて強く発信されたのが、この〈100-1=0〉でした。これは、青梅慶友病院の大塚宣夫氏**の言葉「サービス業は1人の不心得者が99人の努力を帳消しにしてしまう」をヒントにしてつくられたそうです。
**当ブログ2012年9月12日「病院のホスピタリティ」に大塚氏が登場します。

住宅ローンの最終引き落としが終わったお客様に・・・(※1)
担当営業と支店長が、お客様の自宅に出向いて、その旨を伝え、長い間、お付き合いいただいたお礼として花束を贈っています。長い間にはさまざまなことがあり、それが心によぎるのか、多くのお客様が花束を手にして涙ぐむのだそうです。お客様の思いに共感できる金融機関であろうとすることを物語るよいお話ですね。

※1:『ビジネスクリエーターとホスピタリティ』(亀川雅人著/創成社)
※2:『実践ホスピタリティ入門』(田中実著/金融財政事情研究会)
※3:『ホスピタリティ CS向上をめざす巣鴨信用金庫の挑戦』(巣鴨信用金庫 創合企画部著/金融財政事情研究会)

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2014年7月10日 (木)

五木寛之氏の“下山の思想”に基づく「自分のことは棚にあげろ」

今回は「木の葉ブログ」の400号です。これまで応援頂いた皆様に感謝申し上げます。さて、区切りの今回は、筆者が講師業を続けていくに際し、参考とさせて頂いた五木寛之氏『生きる事はおもしろい』の中から「棚にあげる覚悟」を紹介します。浅学非才のわが身は、この内容に勇気づけられて今日までやってまいりました。

「棚にあげる覚悟」の章「2」の全文紹介です(編集の都合で行替え省略あり)
「棚にあげて」という言い方がある。自分のことをまったくかえりみずに、他を批判したりする姿勢のことを言う。「自分のことは棚にあげて、よく言うよ」などと周囲からあきれられたりする人が少なくない。しかし、よく考えてみると、自分のことを棚にあげることなく他を批判したり、提言することがはたして可能だろうか。

自分自身を振り返ってみてもそうだ。これまで私なりに、いろいろな提言や批判を文章にしてきた。しかし、自分はどうか。本気で自分のことをふり返ってみると、もうひどいものだ。とやかく他人のことをあげつらうわけにはいかない。そうなると結局、何も言わずに黙りこんでいるしかないのである。

わが身をかえりみて、他人にあれこれ言える人は少ないはずだ。よくよく面(つら)の皮が厚いか、それとも無神経であるかのどちらかだろう。しかし、黙っているのも「腹ふくるるのわざ」だ。まして売文業者としては、やっていけない。あれこれ悩んだあげくに達した結論とは、「自分のことは棚にあげろ」という覚悟である。

自分ははたしてどうか、などとくよくよ考えているかぎり、発言などできるわけがない。周囲を見まわしても、自分のことは棚にあげて、他の批判や提言をくり返している人ばかりではないか。中途半端に迷いながらの発言など、誰も聞きたくないのだ。「自分のことは棚にあげて」思い切りよく断言してこそ人の耳目を集めるのである。

おのれをかえりみず偉そうなことばかり言う人間を、偽善者という。お坊ちゃまのくせに悪ぶってみせる人間を偽悪者という。
どちらもどちらだ。自分の本来の姿をさらしたところで、それは芸ではない。投げ銭をいただく資格はないのである。

小心なくせに大きなことを言う。強欲なくせに世捨て人みたいな顔をする。どちらも「自分のことは棚にあげる」覚悟がないのである。
自分。これほど仕末に負えない厄介なものがあろうか。それは「棚にあげて」おくしかないのだ。

※:『生きる事はおもしろい』(五木寛之著/東京書籍)

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2014年7月 6日 (日)

ルソーとサムエル・ウルマン『青春』 『幸福になるための作法45』(3)

『幸福になるための作法45』の24は「今日一日をよく生きる」です。その文中にルソーの『エミール』からの抜粋(下記)があり、考えさせられました。この小文を読みながら、筆者にはある文章の記憶が蘇りました。それは、昭和天皇がマッカーサー元帥を訪ねたとき、彼の部屋に掛けられていたことで一躍有名になったものです。

生きること、それは呼吸することではない。活動することだ。『エミール』より
わたしたちの器官、感官、能力を、わたしたちに存在感をあたえる体のあらゆる部分を、用いることだ。最も長生きした人とは、最も多くの歳月を生きた人ではなく、最もよく人生を体験した人だ。百歳で葬られた人が、生まれてすぐ死んだのと同じようなこともある。そんな人は、若いうちに墓場にいったほうがましだったのだ。

青春(サムエル・ウルマン=作山宗久訳)
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、 
たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは怯懦をさける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。

時には、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地に這い、精神は芥になる。
六十歳であろうと十六歳であろうと、人の胸には、驚異に魅かれる心、
おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。

君にも吾にも見えざる駅逓がある。
人から神から美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮膚の雪におおわれ、
悲嘆の氷にとざされるとき、二十歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げて希望の波をとらえる限り、
八十歳であろうと人は青春にして已(や)む。

※:『幸福になるための作法45』中野孝次著/ポプラ社)
(注)サムウェル・ウルマン『青春』はかなり以前のメモで出典不明

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2014年7月 3日 (木)

八木重吉と加島祥造詩集『求めない』 『幸福になるための作法45』(2)

『幸福になるための作法45(※1)』の10は八木重吉詩集から「おだやかな心」です。最初の2行が特に心に響きました。加島祥造氏のベストセラー詩集『求めない』を凝縮すると、こんなフレーズになるのかと感心した次第です。少し長いのですが、『求めない』の冒頭に掲げられた「はじめに」も、ご参考までに転載いたします。

10 おだやかな心(『八木重吉詩集』より)
ものを欲しいとおもわなければ
こんなにもおだやかなこころになれるのか

うつろのように考えておったのに
このきもちを味わってみると
ここから歩きだしてこそたしかだとおもわれる
なんとなく心のそこからはりあひのあるきもちである

加島祥造詩集『求めない』より「はじめに」(※2)
誤解しないでほしい。
「求めない」といったって/どうしても人間は「求める存在」なんだ。
それはよく承知の上での/「求めない」なんだ。

食欲性欲自己保護欲種族保存欲

みんな人間の中にあって/そこから人は求めて動く――それを
否定するんじゃないんだ、いや/肯定するんだ。
五欲を去れだの煩悩を捨てろだのと/あんなこと
嘘っぱちだ、誰にもできないことだ。

「自分自体」の求めることは/とても大切だ。ところが
「頭」だけで求めると、求めすぎる。
「体」が求めることを「頭」は押しのけて/別のものを求めるんだ。
しまいに余計なものまで求めるんだ。

じつは/それだけのことなんです、/ぼくが「求めない」というのは
求めないですむことは求めないってことなんだ。

すると/体のなかにある命が動きだす。
それは喜びにつながっている。
だけどね/意外にむずかしいんだ、だって
わたしたちは/体の願いを頭で無視するからね。

ほどよいところで止める――それがポイントだ。でも
それができなければ、ときには/もう求めない
と自分に言ってみるだけでいい。
すると、それだけでもいい気分になると分かるよ。

あらゆる生物は求めている。
命全体で求めている。
一茎の草でもね。でも、/花を咲かせた後は静かに/次の変化を待つ。
そんな草花を少しは見習いたいと、/そう思うのです。

※1:『幸福になるための作法45』中野孝次著/ポプラ社)
※2:『求めない』(加島祥造著/小学館)

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