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2014年11月 2日 (日)

金田一家親子の「春彦・秀穂 ニホンゴ対談」より 「察しの文化」(2)

「よろしく」という表現に関して、息子の秀穂氏が父親の春彦氏こう語りかけます。
「新学期に、以前僕が教えた学生から、『金田一先生によろしく』といわれて、どうしたらいいか分からないと、ある外国人教師が私に言いました」。以下はそのやりとりですが、辞書編纂で高名な春彦氏の博学ぶりには改めて驚かされます。

春彦 邦楽学者の故・吉川英史さんの『邦楽と人生』に面白い一節があります。われわれはよく「ではお母さんによろしくね」などという言葉を使います。今の人はそういわれると、家へ帰ってから、「おばさんはお母さんによろしくって言ってたよ」などと伝える。伝えられたほうもそれで別に異としないが、本来からいうとそれは間違っているという指摘です。
秀穂 へえ。
春彦 考えてみると、まことにそのとおりで、「よろしく」とは「よろしく伝えてくれ」の意味で、おばさんなる人は、訪ねてきた子どもに、帰ったら私はお母さんのことは忘れてはいない。私の代わりに何とか私の気持ちが伝わるようにあなたから伝えてほしい、とい言ったのであって、どのように伝えるかは、一切その子どもに委託したのです。
秀穂 はあ。するとその「よろしく」は、子どもがよろしいように伝えろ、という意味なわけですか。お母さんが、よい状態であるかという意味じゃないわけですね。ふーん。なるほど。

日本人は子どものときから勘を働かすように訓練されている
春彦 だから子どもは家に帰ったら、お母さんに対して、「おばさんはお母さんのからだのことを心配していたよ」でも、「おばさんはお母さんのことをよくやる偉い人だって感心していたよ」でも、あるいは「おばさんはいつ見てもあなたのお母さんは若いわねえと言っていたよ」でも、そのほか、おばさんがお母さんに対して言ったこと、あるいは直接会ったら言いそうなこと、なんでも構わないのだが、お母さんにおばさんの好意が伝わるようなことを言うべきなのです。
この場合、おばさんなる人は、その子どもに自分の気持ちを具体的に説明せず、察してくれるように要求しているわけで日本人は子どものときから勘を働かすように訓練されていることになります。

秀穂 そりゃ大変だ。正しく察するためには、ふだんからよく観察してなければならなかったんでしょうね。そういう付き合いの深さのようなものが、だんだん薄れてきている、出来なくなっているのが現代の日本なのかもしれません。
でも、本来そのような意味だったものが、挨拶ことばとして定型化されて、元の意味が失われてしまうことはよくあることですね。

参考文献:『『金田一家、日本語百年のひみつ』(金田一秀穂著/朝日新聞出版)

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