« 白州正子氏に学ぶ「智慧というもの」(1) | トップページ | 豊かな感性による「話を紡ぐ力」  黒柳徹子さんのこと(1) »

2015年1月 4日 (日)

白州正子氏に学ぶ「智慧というもの」(2)

水車の話に続いて、白州正子氏の聯想は次の禅問答に展開します。とてもよいお話なのですが長いので途中割愛し、筆者に思いのある「人生は重荷をおいて遠き道を行くが如し」の記述に飛び、最後は「人間を知る…」で結びます。なお、文中に不穏当な文言が含まれますが、原文を尊重しそのまま記載したことをお断りいたします。

道元という偉い禅僧は永平寺をおこした人ですが、その人が支那に渡った時、宋の禅林において、ある一つの教えを受けました。ある日、書物を開いて勉強していますと、先輩が来て聞きました。
「語録を見て何にするのか?」
「古人のしたことを知ろうとするのです」
「何の為に?」
「日本に帰って人を導く為に」
「何の為に?」
「救うために、です」
「つまるところ、何の為に?」
禅の問答なんてものは、我々とはおよそ縁の遠い、わけのわからない物ですけれど、いつでも、何かしら人の心の底の底をつく様な、いわゆる肺腑の言といった様な物を感じます。
「つまるところ何の為に?」
私には解りません。しかし、この答えがもし言えたとしたら、更についで、「何の為に?」と聞かれるに違いありません。たとえ自分一人を相手に物を考えるにしても、其処まで問いつめなくては、まったく「何の為に」しているのか解らなくなります。(中略)

「人生は重荷をおいて遠き道を行くが如し」
故人のこの言葉は、おそかれ早かれ身にしみて知らねばなりますまい。が、重荷とはそもそも何でしょう。ある人にとって、それは苦労という形をとるかも知れません。ある人には病気、又ある人には仕事。しかし又ある人には幸福というもの、はては才能に至るまで、重荷にならないとも限らないのです。

人間を知るということは、ある意味で幸福なことでありましょうが、同時に、不幸でもあるようです。知れば知るほど解らなくなる、知れば知るほど、善も悪も、はてしもなく大きく、深く、とめどもなくなってゆきます。もし、ほんとうに真から底から幸福をお望みなら、必ずそれはあなたのものになるでしょう。
しかし、同時に、不幸もしょいこむだけの覚悟がなければ、そんな望みは捨ておしまいになるがよろしい。

参考文献:『白州正子全集(第一巻)』(白州正子著/新潮社)

ホームページ https://www.leafwrapping.com/

■研修、講演などのご依頼、ご相談は【プロフィール】(画面左顔写真下)の〈メール送信〉からお願いいたします。今回は「マーケティング・その他」の話題から。

にほんブログ村 その他生活ブログ ちょっといい話へ
にほんブログ村


コミュニケーション・会話 ブログランキングへ

|

« 白州正子氏に学ぶ「智慧というもの」(1) | トップページ | 豊かな感性による「話を紡ぐ力」  黒柳徹子さんのこと(1) »

マーケティング・その他」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 白州正子氏に学ぶ「智慧というもの」(2):

« 白州正子氏に学ぶ「智慧というもの」(1) | トップページ | 豊かな感性による「話を紡ぐ力」  黒柳徹子さんのこと(1) »