江戸しぐさ また会いたい人になるための「江戸しぐさ」(1)
前回まで書いた『利他学』の「あとがき」に、ある種のおサルさんには多様な音声コミュニケーションがあるが、ヒトのそれとの決定的な違いは、「発し手と受け手が協力し合いながら相手の意図を推論していく能力だった」と書いてありました。これを読んでいて、ふと思い出したのは相手を思いやる“江戸しぐさ”でした。
江戸時代「まさかの町」といわれた幕府おひざ元で育まれた“江戸しぐさ”
“江戸しぐさ”とは、相手の言いたいことや考えていることに想像力を働かせ、相手を思いやることができるように目つき、表情、話し方、身のこなしを使って心を伝えることです。いつ何が起こるかわからないことへの心構えが、自然を見る目、人を見る目を養わせ、それらもろもろが“江戸しくさ”に結晶したといわれています。
足を踏まれたら「うかつあやまり」で応じる
うっかり人の足を踏んでしまったとき、「ごめんなさい」と謝るのはもちろんですが、江戸人たちは踏まれた方も、よけられなかった「私もうかつでした」と応じました。これを「うかつあやまり」といいます。いやいや、こちらこそ…という意味を込めたしぐさで、その場の雰囲気をとげとげしいものにしないように気を配ったのですね。
「どちらへ」とは聞かないのがセンスのいいふるまい
プライバシーを大切と考えれば、行き先は問わないのが常識。でも、挨拶は大切。そこで、顔見知りがどこかへ出かけるのを見かけたら知らん顔はせずに、「お出かけですか?」と声をかけましょう。言いたくなければこれに「ええ、ちょっとそこまで」とあいまいな返事をすればいいのです。
「見習う」という言葉は、しぐさを重んじた全人教育の名残
江戸の寺子屋では「読み、書き、そろばん」に加え「見る、聞く、話す、考える」に重点を置き、学ぶ内容は、実際に役立つ実学が中心でした。今のような知識にかたよった教え方ではなく、学びの9割は「しぐさ」、1割が文字を覚えるための教育で、いつ社会に出ても立派に独り立ちができるようにとの全人教育でした。
江戸の先人は犬から子どもの教育法を学んだ
犬は生まれてから三カ月くらいのうちにきちんとしつけをしないと、飼い主のいうことをなかなか素直に聞かなくなるので、幼いうちからのしつけが大切なのだそうです。これを人間に置き換え寺子屋教育にとり入れたのが、「三つ心、六つ躾(しつけ)、九つ言葉、文(ふみ)十二、理(ことわり)十五で末決まる」と言いわれます。
参考文献:『入門 江戸しぐさ』(越川禮子著/教育評論社)
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