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2015年7月 3日 (金)

映画の『風と共に去りぬ』を素材に、「文化とは何か」を考える 2015年7月2日 木の葉ブログ500回特集「文明と文化(3)」補足資料

出典は『文明の衝突とキリスト教――文化社会倫理学的考察』(東方敬信著/教文館)。タイトルから宗教とのかかわりを想起しがちですが、神学的要素は最後の一行のみ。全体的には難しいテーマを、多くの人が知っている「風と共に去りぬ」を素材に説き起こし、比較的わかりやすく解説してくれていると思ったので取り上げました。

文化分類学者は、どのような仕方で文化を問うのでしょうか。クリフォード・ギアーツによると、人間は、自分自身で紡いだ意味の網の目に包まれた存在ということになります。そして、文化とは、その意味の網の目です。それは、私たちが「物質的」に、「知的」に、「精神的」に作っている世界と言うことができます。

たとえば、私たちがアメリカ南部の「風と共に去りぬ」という映画になった素晴らしいプランテーションの館と庭園を見に行くとします。そこで、映画が撮られたことを案内人に聞いて歩いて行くと、さらにその庭園の出口の方に、「スレイブ・ハウス」つまり奴隷小屋の遺跡に出会います。
窓が一つしかない小さなレンガ造りの小屋です。そこで、家族五人が暮らしていた過去をイメージしてみます。そうすると、そこにあるのは「物質的」にはレンガの家ですが、貧しく抑圧されて生きていた家族が想像されます。建物は物質的なものですが、「知的」に歴史を理解する機会でもありますし、さらに人間の差別の歴史に怒りをおぼえる「精神的」影響も与えられます。

ここに「事物観」と言われたものがでてきます。またこれらが文化は意味の網の目と言われている様子でしょう。そして、それらは互いに関連していて、文化となっています。世界を物質的に構成したとしても、私たちはそれを解釈し、そこに価値判断をくだしているのです。その価値判断というのは、文化の中に生きている人類の自己理解ということになるでしょう。
ですから、私たちは、物質的なものであってもその意味をきわめているということになります。しかも、その日常生活あるいは生活環境は、象徴や理念や実践において判断されているはずです。

しかし、ジョン・トムリンソンは,『文化的帝国主義』の議論の最後に、近代世界の失敗は、人々が日常生活を構成する上で、価値や意味を決断できないでいるという特徴にあるといいます。価値は、望ましい社会関係、個人の行動様式、社会制度、政治組織など、個人的、社会的自己の目標を決めます。しかし、それだけでなく価値は、人々の感情を結びつけ、道徳的判断を導くといわれています。
文化とは、物質的世界の精神的、倫理的、知的意味にかかわりますが、まさに「充実した人間性」を求めてまさに愛や正義や平和という精神的意味を探る神学にもつながっていきます。

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