iPadやスマホが「文明」なら、本や雑誌・新聞は「文化」 文明と文化(5)
(4)で司馬遼太郎氏の『アメリカ素描(※1)』を紹介しましたが、この文章は「文明と文化」をテーマにした書物の中によく引用されています。専門家の見解ではなく、広く大衆に親しまれた作家(後半は評論家的色彩が強いかも…)の手になるものだからでしょうか。今回ユニークな「メディア論」をその1例として紹介します。
司馬遼太郎氏『アメリカ素描』の引用部分から
文明は「誰もが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」を・・・文化の発光物質なのである。(ここまで前号と同文。以下は参考文献※2による)・・・人間は合理的な生命組織の総合でありながら、しばしば不合理に生きることを好む。むしろ文化という不合理なものにくるまることによって精神の安らぎをえている。
「パブリケーション」としての本、編集長の「主観編集」による雑誌
「文化」という観点から、活字メディアの本や雑誌の特性を見てみよう。
本は、企画から著者の選定、本文の編集、業者との読み合わせ、装幀やイラストの選択、タイトルの選択、刷り部数や配本の決定、惹句や宣伝方法の工夫など、型にはまった定期刊行物ではなく単品ごとに制作される。それだけに、編集者に委ねられる裁量は大きく、類書とは異なる編集上独自のアイデアや光るセンスが決定的にモノをいうことになる。
雑誌の場合、そこで伝えられるべき内容は、まず「深く」であり、次に「的確に」、そしてできるだけ「速く」――である。
同じ活字メディアの新聞が事実そのものを一刻も速く伝える「速報型」のメディアなのに対して、雑誌はすでに報じられたニュースを受け、独自の解説や分析、展望など「深堀り型」の情報がいかに提示されているかが決め手となる。
デジタル情報が津波のようにあふれ、情報量が膨大であればあるほど、信頼性が高い深堀り型の専門情報である雑誌が、ガイド役として果たす役割は大きい。新聞が「速く」「正確に」を旨とし、5W1Hをどう客観的に伝えるかのメディアであるなら、雑誌は「深く」「的確に」が売りものの「第一人称ジャーナリズム」のメディアである。
活字メディアを「文明」と「文化」に仕分けすると
同じ活字メディアでも、ケタ違いに多い読者があり客観報道の「第三人称のジャーナリズム」を立て前にする新聞紙面からは、いささか「文明」の香りが漂うのに比べ、編集長や編集者によって独自の世界が築かれた「主観編集」「第一人称のジャーナリズム」の雑誌誌面や本の中身からは、その土地土地に根づいた作物の耕作と底において通じる「文化」の匂いがかぎ取れる。
※1:『アメリカ素描』(司馬遼太郎著/読売新聞社/文庫本は新潮社)
※2:『本の底力』(高橋文夫著/新曜社)
この本(※2)のコラム――「文明」と「文化」――からの抜粋を2015年7月10日、11日の補足資料とします。
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