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2016年1月10日 (日)

人間にとっての「美」「加齢」「長所」について  たしなみについて(3)

白洲正子さんの「たしなみについて」は45節で構成されています。短いものは2行、長いものは頁をまたぐものもありますが、文字数の関係から短目のものを取り上げてきました。そしてこのシリーズの締めくくりの今回は、日常生活の中でつい見落としがちな“人間としてのあるべき姿”3点を選んでみました。

「美」というものはたった一つしかなく、いつでも新しくいつでも古いのです。
その「つねなるもの」は、しかし大きくも小さくもなります。子供の描いた絵と、立派な芸術家の仕事では、美しさにおいて変わりなくとも、大きさにおいて違います。
人間の美しさも、無智な者と智慧にあふれた美しさと、何れが上というわけではありませんが、違います。

「人間」に年などありません。
若くとも一所にじっとしているならば、それは既に老いたのです。
真に名人と自らゆるす人は、いつも初心の時の心構えを忘れず、しじゅうはげみを怠りません。それが芸の若さを保つ所以です。功成り名をとげて身退く、というのは、既に隠退という一つの行動をしているわけになります。
隠居をして急に老衰するような老人は、勝手に老いぼれたらいいのです。人間の出来た人なら、隠居することすら、一つの仕事となる筈です。ひっこみのうまい役者は、舞台に居る間の華々しさよりも、なお一そう芸の達人であると言えましょう。

自分の長所を見つけるのはいい事です。なるたけ早く見出す程いいと思います。
そのよさというものは、しかしほっておくとすぐ悪くなるおそれがあります。玉は磨かねば光らないのです。玉を持っていると自覚してそれで安心していたのでは、一日たりとも、今度は玉の方が人をゆるさなくなります。

玉は昔の自分とともに置き去りにして、現身(うつしみ)ばかり年をとり世とともに馴れていったのでは、それでは他人に「変わった」と見られるにきまっています。他人はほんとうに利巧者で、すぐ私たちを見破ってしまいます。どこで覚えたのか、と聞きたくなる程の正確さをもって。

他人は鏡です。伊達者でなくとも、私達はしじゅう鏡の前で生活している様なものです。自分を育てるのは自分ばかりでなく、人も協力してくれるものとみえます。

参考文献:『白洲正子全集 第一巻』(白洲正子著/新潮社)

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