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2016年6月16日 (木)

裸眼3Dテレビの開発者&あのパラリピアン 活躍する女性たちの群像(5)(ウーマン・オブ・ザ・イヤーの大賞受賞者紹介 Ⅲ)

2011年 福島理恵子氏(東芝主任研究員)の大賞受賞理由
●世界初のグラスレス3Dディスプレーを開発し、製品化を実現。エンターテイメント分野の可能性を広げた/●3D研究に果敢に挑戦。製品化にこぎつけた発想力と厳しいテストを乗り越えたリーダーシップ/●女性が少ない理系研究者としてキャリアを構築。同じ研究者の夫と協力しながら仕事と育児を両立するローモデル性

バブル崩壊後の就職氷河期(94年)を乗り越えて東芝に入社した福島さんが、裸眼(専用メガネなし)3Dディスプレーの研究チームに加わったのは02年。既に広告用看板などでメガネなしで見られる製品は存在していましたが、完成度が低く、広い範囲で見られて、滑らかな映像表現が可能なディスプレーの開発が課題となっていました。

開発チームに参加して半年目。福島さんはある会議の席上で、この課題を解決するアイデア(ディスプレーはそのままに、画像を工夫するだけでいいのでは)を思い付きます。慌てて手帳にイメージを書き留め、会議終了後、その場で研究チームのリーダーに「この方式で実験してみたい」と打診、すぐに実験することの了承を得ました。

研究に着手すると、想定通りの成果を得て、21世紀発明賞を受賞します。5人で始めた3Dディスプレーの研究チームは、社を横断する大きな組織となり、数十億円をかけた開発プロジェクトは、10年春に当時の社長の「ここまでできているなら液晶テレビにしよう」という一声で、10年12月に一般発売されることが決定されました。

2014年 佐藤真海氏(サントリーホールディングスCSR推進部)の大賞受賞理由
●右足切断(骨肉腫により19歳で)によって義足となるも、自分にしかできない仕事を見いだし、新しいキャリアを築いてきた/●社会人大学への進学、国際大会に単独参加し英語力を磨くなど、自ら能力開発の機会をつくり挑戦/●東京五輪・パラリンピック招致の最終プレゼンのスピーチで感動を呼び、開催決定に貢献

佐藤さんは、20年夏季五輪・パラリンピックの開催都市を決めるIOC(国際オリンピック委員会)総会の最終プレゼンテーションの大舞台で、衆目を集めるトップバッターとして登壇しました。「私がここにいるのはスポーツによって救われたからです…、出身地は東日本大震災の被害を…」のスピーチは記憶に新しいところです。

佐藤さんは困難に遭遇するたびに、「自分はここまでしかできないという“限界のふた”を外してきた」そうです。そして「ずっと必死でした。常に何かにチャレンジしていないとつぶれそうだった」とも語り、この10年を振り返えると、「迷ったときは必ず壁が高いほう、困難なほうに挑戦する」ことを心がけてきたそうです。

参考文献:『日経WOMAN』(月刊誌/日経BP社)

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