スポーツ選手のインティグリティ
2020東京オリンピックが終わり、筆者はしばらくオリンピックロスになってしまいました。コロナ禍でのオリンピック開催については様々な意見があったもののやはり盛り上がりましたね。筆者も沢山の感動と勇気と元気を選手の皆さんからいただきました。見逃したもののありますが、数々の素晴らしいシーンとの出会いがありました。特に開催後すぐに行われた柔道の決勝戦で勝利した後の阿部選手の礼節な態度がとても印象的でした。負けた選手への思い遣りから喜びを抑え顔の表情を変えずに負けた選手としっかり握手をかわし、その後正座で畳に向かって頭を下げたのでした。
筆者は2018年からご縁をいただいる某実業団アスリートの皆さんに研修をしておりますが、ある日、監督から「ぜひ、スポーツ選手のインティグリティについてもお願いしたい」とのご要望を賜りました。はて、さて、インティグリティ?聞かない言葉で調べてみると高潔さ、品位、完全な状態を意味し、スポーツにおけるインティグリティとは、「スポーツが様々な脅威により欠けるところなく、価値ある高潔な状態」を指す(独立行政法人日本スポーツ振興センター)とありました。
良い事例はないか調べていく中で、1964年の東京オリンピックの柔道の決勝戦で素晴らしいインティグリティに出会いました。今回の2020東京オリンピックを観戦して感動的なそのストーリーを思い出したのでご紹介します。
『スポーツにおける抑制の美学』(西村秀樹著/世界思想社)より 柔道決勝戦、オランダのへーシングが日本の神永を破った。オランダの応援打破狂喜し畳に駆け上がろうとしたが、へーシングは右手をかざして制し倒れたままの神永を助け起こした。礼を終えたへーシングは神永を連れ立って貴賓席にいらっしゃった皇太子に一礼して会場を立ち去った。武道館には衝撃が走った。「負けた」と日本時の誰もが思った。へーシングは正しい柔道を継承し力や技だけでなく“心”まで会得していたのだった。
まさにスポーツ選手のインティグリティの見本となるようなお話です。毎回オリンピックでは様々なドラマを目にしますが、今回も感動と勇気と元気をありがとう!という気持ちでいっぱいです。次回は2024年のパリでの開催ですね。また感動を再び!
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