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2023年2月13日 (月)

文学からネットまで誤植・誤字・誤変換の変遷

ツイート、ブログでの反省から図書館で手にした『誤植読本・増補版(筑摩書房)』に目を通すことで、修正のきかない出版物の著者並びに編集者・校正者のご苦労がよくわかりました。Twitterのツイートなど一部を除いて、発信情報の誤りを上書きできる時代では想像もできないご苦労の一端をご紹介し、最後にSNS上の誤変換について触れます。

『誤植読本・増補版』高橋輝次著/筑摩書房 Ⅰ 誤植打ち明け話 外山滋比古 「校正畏るべし」・・・書いた本人が校正をすれば誤植が根絶できるかというと、そうでもないからやっかいだ。むしろ当人の校正の方がミスが多い。意味をとって読むからだろうと言われている。校正というものは、よほどていねいに見たつもりでも誤植が残る。

電話で送信する新聞には面白い同音異字型の誤植があらわれる。「学校給食にお食事券」の正体は「学校給食に汚職事件」であった。仮名もよく誤植のタネになる。婦徳を説いた一文の中に、「ゆする心がけ」とあったらびっくりするだろう。これは「ゆずる心がけ」の誤りだった。

Ⅰ 誤植打ち明け話 林真理子 「誤植」(出典同上)ああ恥ずかしい。これほど恥ずかしいことがあってよいものだろうか。私が書いた散文の中で、ものすごい誤植が発見されたのである。誤植というのは、印刷のミスなどで、全く違う文字や言葉が入ってしまうことをいう。それに気づかないのは編集者のミスということになるが、まあすべての責任は私にかぶさってくる。

ミスはミスなりに、いかにもそれらしく支離滅裂になってくれればいいものを、その誤植は実に見事にきまっていた。「○○○○できまる」と書いたところ、「できまる」が「できる」になっていたのである。たった一文字違うだけなのに、たちまち未婚の女性が口にすべきではない表現になってしまう。ああ恥ずかしい。

Ⅳ 近代作家の誤植・校正 佐藤春夫 「誤植というもの」(出典同上)校正のむつかしさを、葉を掃くがごとしと言ったのは中国人である。一つ見つけて整理したと思うころにまた一つ見つかる。あとへあとへきりのないところを、校正者の側から落葉の庭を掃くと見立てたのであろう。人を悩ますこと最も多いものは、ミスプリントだと言ったのは、誤植本を読む側から言ったアメリカの駄じゃれであろう。

 自分で見ると自分の記憶で調子に乗って読んでしまうから、かえって間違いを気づかない場合もある。その点、散文は詩よりはいくらかよいが、落ち着きのないそそっかしい自分はいずれにせよ、校正者としては不適当な人間である。そのために校正しているのだとは思いながらも、あまりひんぴんと出る誤植を見ると、腹が立って来てしまうのである。

 VOW ニッポンの誤植(宝島編集部・編)』より。←の左側が誤変換例。

「人妻なんだね」←「一つ学んだね」 「杏と匂いの木」←「アントニオ猪木」

「これモアイの力です」「これも愛の力です」

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