新書『「みんな違って、みんないい」のか?』より
この本の著者(*)は、「正しさは人それぞれ」といって他人との関係を切り捨てるのでもなく、「真実は一つ」といって自分と異なる考えを否定するのでもなく――考え方の異なるもの同士が共に生きていくために、「正しさ」とは何か。それはどのようにして作られものなのかを、さまざまな学問を概観し考える、と表紙カバーに記しています。
5月26日からのTwitterシリーズのタイトルは「みんな違って、みんないい」で、第1回はアドラー心理学から「世の中に絶対的に正しい価値観は存在せず、何を大切にしたいかは個人の自由だ。そして、みんな違って、みんないい。誰に強いられることなく、自分の大切にしたいものを大切にする。だからこそみんな幸せに生きられる」を紹介。
そして第2回で金子みすゞ作「わたしと小鳥とすずと」を取り上げました。 私が両手をひろげても/お空はちっとも飛べないが/飛べる小鳥は私のやうに/地面を速くは走れない 私がからだをゆすっても/きれいな音は出ないけど/あの鳴る鈴は私のやうに/たくさんな唄は知らないよ 鈴と、小鳥と、それから私/みんなちがって、みんないい
この詩には私(速く走れる)と、小鳥(空を飛べる)と、鈴(きれいな音を出せる)が登場。それぞれに得意なこととできないこと――その違いが説明され、最後に「みんなちがって、みんないい」と結ばれます。この詩が詠まれてから100年近く経ちますが(1930年3月没、享年26歳)、そのみずみずしさと多様性を先取りした内容には敬服です。
アドラー心理学からの当該部分と、金子みすゞ作「わたしと小鳥とすずと」は、いずれも「みんな違って、それでいい」の肯定ですが、冒頭の書籍『「みんな違って、みんないい」のか?』は「人や文化によって価値観が異なり、それぞれの価値観には優劣がつけられない」という考え方を相対主義とし、別の考え方があることを提示しています。
それは普遍主義で、さまざまな問題について「客観的に正しい答えがある」という立場をとるものです。この場合のよくある答えは、「科学的に判断すべきだ」ということです。科学は「客観的に正しい答え」を教えてくれると多くの人は考えています。探偵マンガの主人公風に言えば、「真実は一つ!」という考え方といってもよいかもしれません。
前出著者は、最近、「正しさは人それぞれ」と並んで、「どんなことでも感じ方しだい」とか、「心を傷つけてはいけない」といった感情尊重の風潮も広まっています。しかし、学び成長するとは、今の自分を否定して、今の自分ではないものになるということです。これは大変に苦しい、ときに心の傷つく作業です、と語っておられます。
参考文献:新書『「みんな違って、みんないい」のか?』(*山口裕之〈徳島大学総合科学部教授〉著/筑摩書房刊/)
『「コーチング脳」のつくり方』(宮越大樹著/ぱる出版刊)
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