町工場の携帯向け金型が世界を制する!
株式会社インクスの創業者・山田眞次郎氏は、最新技術を駆使して、個人に依存した金型産業を自ら変革しようと思い立ち金型製造企業を創業した。最初に手掛けたのは、光造形技術の中の「三次元データから直接金型を制作する」というアイデアを、当時市場成長が予測された携帯電話に適用した。
携帯電話は小型で複雑な三次元形状をしているので、熟練技術者でも金型を制作するにはかなりの日数を要した。また切削工具では一体型の金型を制作することは難しく、通常は複数の部分に分けて貼り合わせることになる。しかしこの手法は強度の点で問題があった。また複数個の金型を同時に必要とする場合には、人手で対応することは困難だった。
山田社長はこうした問題点を見極め、金型を設計し制作するコンピューターシステムの独自開発を1995年に始めた。1996年、66歳の金型職人を雇い、熟練技術者の傍らに若者を侍らせ、わからないことは「なぜですか?」という質問させることで、徹底的に分析を進めた。「なぜそのように磨くのですか?」「しっくりさせるためさ」
すると若者は金型を借りて正確に測定し、金型のベースと部品の隙間が3ミクロンであることを発見する。この瞬間「しっくり」という感覚が3ミクロンという数値に置き換わり、IT化への階段を昇り始めることになった。このように属人的と思われていた技を一つひとつ数値化、再現性のある技術に変換する作業をなんと2年半にわたって続けた。
こうして、非熟練者でも再現できるように、金型設計・製作の工程すべてが再構築され、ついに1998年3月、それまで熟練工によって45日かかっていた携帯電話の金型設計・製作工程を、非熟練者でも6日(144時間で、およそ従来の6分の1)まで短縮した。山田社長はこれをさらに45時間に短縮しようと決意し、これを達成したチームに打診する。すると、「これ以上短くならない! 無理!」との回答が。この事態は、変革の本質を表している。「過去の変革チームは、新たな革新者にはなりにくい」ということ。
企業が変革を続けていく場合、この教訓を重く受け止めることが必要。どんな優秀なチームでも、自らの成功を一度否定し、新たな変革を遂行していくことは極めて困難。
そこで山田社長は「45時間」達成のために、未経験者ばかりを集めた「K2」チームを結成する。平均年齢26歳、平均勤続年数6ヵ月という文字通り素人集団。彼らは工程を見直し、6日達成の計1000工程を100工程に再定義し、全行程の因果関係を明確にして、前倒しできる工程や同時並行処理できる工程を詰めた結果、目標の「45時間」を実現した。
以上を『決定学の法則』著者・畑村洋太郎氏は「この会社は設計・製造の工程で『人間が行うこと』と『人間が内容を決定すればあとは全部機械が行うこと』を2つにハッキリと分け、人間が関わらなくて済むものは徹底的に排除し、また人間が関わっているものであってもそれに要する時間を最小化するという基本思想で、システム開発に取り組んだ」と総括。
参考文献:『セレンディピティ』(宮永博史著/詳伝社刊)
『決定学の法則』(畑村洋太郎著/文藝春秋刊)
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