伝統を大事にした二代目の中村吉右衛門
歌舞伎界の大御所であり・人間国宝でもありながら、テレビの『鬼平犯科帳シリーズ』などで幅広い層から愛された二代目の中村吉右衛門さんが亡くなって、早くも2年の歳月が流れました。この間に、歌舞伎界には芳しくない話題もあるようですが、11月21日の「歌舞伎座開園記念日」を期に、偉大な先達の芸道に対する姿勢を振り返ります。
「初代吉右衛門は『一生修行、毎日初日』と口癖のように唱えていたといいます。同じ役をひと月演じても、毎日初日のような気持ちで演じなさい、そのために一生修行しなさい。役者にとっては毎日のことであってもお客様にとってはその日限りなのです」と。
また、「舞台に染みついた血と汗と涙の結晶が現在の歌舞伎なんです」とも。
「芸を確立させていくのはまずは真似から入るしかありません。ただ、そこで止まったら単なる物真似で終わってしまう。真似ができたところがスタート地点」
「ある役者が練って練って作り出した芸を次の代が真似てそこでさらに練って自分らしさをつけ加えてそれが代々続いていく。常に磨かれていかなければ伝統ではない」
坂東玉三郎らしい言葉と、中村吉右衛門と共通する言葉
「美の基本は丁寧でなければなりません。私は、力技で他人と対さないということが、日本人ならではのやわらかさだと思います」
「他人への気遣いであり、優しさであり、また所作が丁寧であることもやわらかさに繋がるのだと思います」
「見る側のために伝承がある。けっして演る側の楽しみじゃなく、いかに内容をはっきりわからせ、奥深く見せるかのための伝承を大切にしていきたいと思います」
「伝承や型を考えてみて、脚本を読んで全体の意味を知りその中で自分の役割が何を表現したらよいかを掴まなければならないんです」
世界的建築家を悩ませた新歌舞伎座 現在の歌舞伎座は五代目に当たり、世界的建築家の隈研吾氏の設計により、2013年4月に完成。11月21日が「歌舞伎座開業記念日」なのは、1889年(明治22年)のこの日、東京・木挽町(こびきちょう)(現:東銀座)に歌舞伎座が開場したことに由来する。座席数は1824(現在は1808)で、当時から日本を代表する大劇場だった。
建築様式は、四代(登録文化財)の唐破風、欄干などの特徴的な意匠を継承し、第四代歌舞伎座を踏襲するが、一方の高層部分は日本建築の捻子連子格子をモチーフとし、ガラスで柔らかな陰影のある外装。ただ、この和洋折衷方式は計画段階から各方面で大反対を受け、関係者を大いに悩ませたが、最後は設計者の強い意志が見事な造形を実現させた。
新歌舞伎座には、劇場部分とオフィスビル(地上29階:銀座で一番高いビル)の高低差を利用し、劇場屋上には日本庭園を備えるなど憩いの場も多い。また地下2階には400坪の大広場(木挽町広場)も併設され、防災用品の備蓄倉庫が設置されている。災害時には、建物全体で帰宅困難者3,000人の受け入れを想定し、約3日分の食料も備えている。
歌舞伎役者が流行らせた 役者色 歌舞伎役者が流行の最先端だった証が色彩にも。具体例としては、「路考茶(二代目瀬川菊之丞愛用の緑みの茶色)」「團十郎茶(市川家、成田屋のシンボル色赤茶色)」「芝翫(しかん)茶(三代目中村歌右衛門愛用の赤みの茶色)」「梅幸茶(初代尾上菊五郎の俳号をつけた緑みの茶)」「璃寛茶(二代目嵐吉三郎が好んだ渋い焦茶色)」
参考資料:Web『中村吉右衛門(二代目) 珠玉の名言・格言21選』&坂東玉三郎の名言集』
『建築家、走る』(隈研吾著/新潮社刊)
『日本の伝統色』(福田邦夫著/東京美術刊)
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