身近な「鍋」に纏わる3つのエピソード
稲盛さんが創業した「京セラ」の本社や全国の主要な事業所には必ず和室があります。これらの和室は「コンパ」のために設けられたもの。コンパとは飲み会のことを指しますが、稲盛流コンパはその位置づけが異なります。多少羽目を外すことはあっても、上司や会社の陰口をたたく憂さ晴らしの場ではありません。
経営者と従業員、上司と部下、同僚同士が互いに胸襟を開き、仕事の悩みや働き方、生き方を本音で語り合う場なのです。お酒を通して一人ひとりが人間的に成長し、組織を強固な一枚岩にすることができるとの信念に基づきます。稲盛氏自身、体調を崩したら注射を打ってでも参加したといいます。夏場も冬場も鍋をつつきあって親睦を深めました。
この稲盛流コンパは京セラに限らず、氏が情熱を注いだ中小企業経営者の勉強会『盛和塾』でもまったく一緒でした。稲盛氏が好む車座の形を取ると、人数が多くても場が引き締まる。大人数の場合でも、5~10単位でグループに分ければ、議論が活発になるのだと。ただ、より深い議論が必要だと感じたら、経営者1人に対し1~3人の少人数もありとか。
「鍋」の中でアイデアが生まれるとき アイデアと素材さえあれば、すぐに発酵するか、ビールができるのか、というと、そうではない。これをしばらくそっとしておく必要がある。〝寝させる〟のである。ここで素材と酵素の化学反応が進行する。どんなにいい素材といかに優れた酵素が揃っていても、一緒にしたらすぐアルコールになるということはあり得ない。
頭の中の醸造所で、時間をかける。あまり騒ぎ立ててはいけない。しばらく忘れるのである。〝見つめるナベは煮えない〟早く煮えないか、早く煮えないか、と絶えず鍋のふたをとっていては、いつまでたっても煮えない。あまり注意しすぎては、かえって、結果がよろしくない。しばらくは放っておく時間が必要だということを教えたものである。
中国の寓話「2つの鍋」 ある中国の老婆が大なべを2つ持っていた。老婆は毎日鍋を棒の左右に担いで近くの小川に行き、水を汲んで家に戻る。帰り着いたときには、片方の鍋には水がいっぱい入ったままなのに、もう一方の水は半分しか残っていない。じつは、その鍋はひびが入って、帰り道に水が漏れてしまうのだ。2つの鍋はこの状況に違った反応を見せた。
ひびの入っていない鍋は自分の働きぶりを誇りに思い。一方、ひびの入った鍋は惨めな気分で自分の欠点を恥じ、本来の働きの半分しかできないことをがっかりしていた。2年後、ひびの入った鍋は自分の気持ちを老婆に伝えると、あなたの鍋の側には花が咲いているけれど、もう一方の側には咲いていないことに気づいたか、と尋ねた。
老婆は、道のそちら側に花の種をまいた。老婆はひびの入った鍋に言った。「2年間、私はその美しい花を摘んで、食卓を飾ることができた。おまえにひびが入っていなかったら、花が我が家に彩りを添えることはなかっただろうよ」と。ひびの入った鍋は視野を狭めすぎて自分の欠点しか見えていなかったことに気づかされたというお話。
※参考文献:『稲盛流コンパ』(北方雅人&久保俊介著/日経BP社刊)
『思考の整理学』(外山滋比古著/筑摩書房刊)
『失敗は「そこ」からはじまる』(フランチェスカ・ジーノ著/ダイヤモンド社刊)
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