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2024年2月15日 (木)

ダーウィンの偉業と面白エピソード2つ

ダーウィンの最も有名な言葉は、「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」といえるだろう。彼は1831年にイギリスのケンブリッジ大学を卒業すると、その年の末にイギリス海軍の測量船ビーグル号に乗船した。乗船期間は当初3年だったが、帰国までには5年を要した。

後にダーウィンは自伝で、この航海で印象に残ったことを三つ書き残している。①南米沿岸を移動すると、生物が少しずつ近縁と思われる種に置き換えられていく様子に気づいたこと。②南米で今は生き残っていない大型の哺乳類化石を発見したこと。③ガラパゴス諸島の生物の多くが南米由来と考えざるを得ないほど南米のものに似ていることだった。

ダーウィンは、南半球各地の動物相や植物相の違いから、種が独立して創られたものではないと考え始めた。そして航海中に読んだ、ライエルの『地質学原理』から、地層がわずかな作用を長い時間累積させて変化するように、動植物にも長い時間の変化の蓄積があるのではないか、大陸の変化に生物が適応しうるのではないかという思想に至った。

また、マルサスの『人口論』から、「食料生産は算術級数的にしか増えないのに人口は等比級数で増えるため、人口増加は食糧増産の限界の問題からかならず頭打ちになる」との予言から、食料供給の限界が常に動物においても発生する以上、環境に適応して変化することが種の存続において重要であるという仮説を得たという。

ダーウィンの『種の起源』は、当初、宗教倫理の観点から批判の対象とされたが、測量船ビーグル号での5年の調査旅行で集積したデータが後ろ盾となり徐々に評価対象に。もう一つ忘れてならないのは、既成概念に捉われない彼の柔軟な発想法があったこと。それを裏付けるような格好の逸話が若年期、老境期にあるので、最後に紹介します。

少年期編:彼は、子どもの頃カブトムシに熱中した。ある日、自宅近くの森を歩き回っていると、コレクションにない種類のカブトムシに出会う。さっそく捕まえようとしたとき、更に大きくて光沢のあるカブトムシを2匹見つけた。どちらもとても大きく片手に1匹ずつしか持てない。どうする? 次の瞬間、彼は3匹目を口に咥え、走って家に帰った。

老齢期編:仕事中毒だった彼は、仕事部屋の中をできるだけ楽に動き回って標本を確認したかった。そこで、ごく普通の椅子の足を切り落として、ベッドのキャスター付きの足を代わりに付け、室内をすばやく動き回れるようにした。ダーウィンはオフィスチェアの概念を変え、のちにデザイナーが彼に倣って、調節しやすく移動しやすいものに進化させた。

※参考資料&文献:Wikipedia

『「変える」は会社の毎日のお仕事』(村尾隆介&森川綵著/朝日新聞出版刊)

『合理的なのに愚かな戦略』(ルーディー和子著/日本実業出版社刊)

『ニュータイプの時代』(山口周著/ ダイヤモンド社刊)

『ジグザグに考えよう』:(キース・ソーヤー著/YAMAHA刊)

『天才はしつこい』(ロッド・シャドキンス著/CCCメディアハウス刊)

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