出番少なくもハートに響くコインの物語
マー君の「大きな十円玉」
生まれながらの障害をもっていたマー君は不登校でしたが、四年生に上がる頃、両親が話し合い中学生になるまで全寮制の養護学校に預ける事に。先生が一対一で主要教科を一年生にまで遡り丁寧に教えると、マー君は。その日習った事を、毎日毎日母親に電話で報告していました。覚えた漢字も沢山になると、少し難しい本も読めるようになりました。
マー君をずっと教えていた先生が、ある日お金の問題を出します。『ここに、五百円玉、百円玉、十円玉があります。どのお金が、一番大きなお金ですか?』。すると彼は「十円玉」と答えます。先生が「五百円なのよ」と、教え直しても答えは変わりません。そこで理由を聞くと「十円玉は、電話が出来るお金。電話をするとお母さんの声が聞ける」からと。
大震災の命綱となった「コイン」
元日の能登半島地震から思い起こされるのは29年前の阪神淡路大震災。能登半島地震はこれから「ご馳走」を楽しもうという16時40分頃に激しい揺れに襲われたが、阪神淡路大震災は1月27日の未明、5時46分だった。このため、ほとんどの被災者は寝床で激しい揺れに襲われ、家屋の倒壊直前に、着の身着のまま家を飛び出した。
命拾いはしたものの、能登半島ほどではないにせよ、真冬の夜明け前は寒さも応える。そして能登と同じように電気も水道も使用不可。そのような悲惨な状況の中で、ドリンク自販機が横倒しになっても利用可能なものがあったという。これで飲み物が…と思いきや、群がった人の中にコイン保持者は皆無。眼前にドリンクがあるのに眺めているだけ。
中には、腹立ち任せに自販機を蹴とばす人も出る惨状を、たまたま視察中の日銀神戸支店長(遠藤勝裕氏)が目撃する。彼はその瞬間「このままでは暴動も」との危機意識から急遽銀行に戻り、銀行協会と調整の末、百円玉9枚と十円玉10枚を入れた千円の袋を4千個用意。この袋を抱え避難所に出向き「銀行協会からの義援金です」と渡して歩いた。
こうしたきめ細やかな被災者支援の傍ら、遠藤氏は生活者&企業支援にも乗り出す。支店長判断で、通帳や判子がなくても身分証、免許証を提示したらお金が借りられる、半焼けの紙幣は普通の紙幣と交換する、といった金融特例措置を独断で、震災当日に実行。加えて、遠藤氏は、損壊を免れた日銀神戸支店内に、各金融機関の窓口開説の便宜を図った。
戦後を象徴するコイン「五円玉」
五円玉の表面のデザインは、左から右に、穂をたれている稲穂で農業を、穴の周りの歯車で工業を、「五円」の文字の背景の線は水・波を表し漁業(水産業)の、戦後の産業を表している。裏には、日本の神木のヒノキの双葉がデザインされている。双葉は「新生」「再生」「復興」を意味し、表と裏のデザインで、戦後の荒廃からの復興を願ったとのこと。
明治政府は1869年(明治2年3月4日)に金銀銅の円形貨幣を鋳造する円貨の制度を定めたが、五円玉はこの範疇を超えた黄銅貨で、銅が60~70%、亜鉛が30~40%で、重量は3.75g、直径2.2㎝となっている。その理由が今日ではとても意味深で、五円玉は戦後使われなくなった砲弾や薬きょうを溶かし、平和を願ってつくられた硬貨なのです。
※参考文献:『心に残るとっておきの話〈第1集〉』(潮文社編集部編/潮文社刊)
『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』(藤尾秀明監修/致知出版社刊)
『社会科教師のための「言語力」研究』(片上宗二著/ 風間書房刊)(1431字)
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