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2024年6月

2024年6月29日 (土)

アメリカを代表する3人の歴史的名演説

米国大統領で雄弁家として知られるウィルソン(第28代)の演説に関する興味深い有名なコメントがあります。あるときウィルソンが演説の心得を聞かれて、こう答えました。

1時間の演説なら即座にできる。20分のものでは2時間の準備が必要だ。5分間のショーとスピーチだったら、一晩、思いを練らなくてはならない」と。

5分よりもっと難しい2分間の名演説

1863年の秋のこと、アメリカのゲティスバーグに、南北戦争の戦死者のための国営墓地がつくられ、その奉献式が行われた。教育家として、また雄弁家として有名なエドワード・エバレットは、その式の主賓として招待されており、そこで2時間のわたる素晴らしい演説をおこなった。それに続いたリンカーンの演説は、たったの2分間。

87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神に育まれ、すべての人は平等につくられているという信条にささげられた、新しい国家を、この大陸に打ち建てた」と語り出し、そして、「この国家をして、神のもとに、新しく自由の誕生をなさしめるため、そして人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため」に、戦死者が残した未完の大事業を受け継ぐという言葉で結ばれた(『リンカーン演説集』)。

今日まで、アメリカ合衆国の建国の理念を語るものとして、また民主主義のもっとも簡潔な定義を明らかにしたものとして、不朽の価値を持つ演説といわれる。リンカーンの演説の方が歴史に残ったのは、私たちが簡潔な話の方を好むという証拠でもあるかもしれない。2時間より、2分の話の方が遥かに難易度は高いが、私たちの耳には、ありがたいのだ。

僅か115文字の中に8回「アメリカ」を織り込んだオバマ氏

2004年7月、ボストンの民主党全国大会の基調演説で、彼は終盤にこう語りかけた。「私は今夜、彼らにこう言います。リベラルのアメリカも保守のアメリカもない。あるのはただひとつ、アメリカ合衆国なのだ、と。黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもない。あるのはアメリカ合衆国だけなのです」と。

キング牧師の演説「わたしには夢がある」

1963828日に、公民権運動のリーダー的な存在となっていたキング牧師は、奴隷解放百周年を記念したワシントン大行進というイベントを実施します。前日の夜遅くには全国から人々が続々とワシントンDCを目指してやってきました。最終的には主催者側の想定10万人をはるかに超える25万人(うち6万は白人)もの大群衆になりました。

「私には夢がある。いつの日か、ジョージアの赤い丘でかつての奴隷の息子と、かつての奴隷所有者の息子が、兄弟のように同じテーブルを囲む日が来るという夢が」

「私には夢がある。不正と抑圧の熱波でうだるように熱いミシシッピ州でさえも、いつの日か、自由と正義のオアシスに変貌するという夢が」

「私には夢がある。いつの日か、私の幼い4人の子供たちが、肌の色ではなく中身によって判断される国に生きるという夢が」

※参考文献:『左遷の哲学』(伊藤肇著/産業能率大学出版部刊)

『人は「暗示で」9割動く!』(内藤誼人著/すばる舎刊)

『あの演説はなぜ人を動かしたのか』(川上徹也著/PHP研究所刊)

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2024年6月26日 (水)

五輪の名言とクーベルタンの名プレゼン

1908年の第4回ロンドン大会は、英米間でトラブルが多発した。当時実施されていた綱引きでは、英チームの選手の靴に鋲が打ってあると米が猛抗議したが、通らず米は棄権した。また、陸上400メートルでは米3人、英1人で決勝が行われたが、ランナー同士の接触が元で両国がにらみ合い。再レースを米が棄権し、英1人のみが走って優勝した。

そんな中、競技の休日とされていた日曜日、セント・ポール大寺院の礼拝で、ペンシルベニア司教のエセルバート・タルボットが「オリンピックで重要なのは、勝つことではなく、参加することである」と話し、英米の対立を諫めた。これを聞いて感激したクーベルタンは、後日、国王招待の晩餐会で司教の言葉を披露し、これこそ五輪の理想であると話した。

失敗に終わったクーベルタンの1回目プレゼン

オリンピック開催が決まったのは1894617日に開催された、「パリ国際アスレティック会議」だった。なお、クーベルタンが29歳のときの「第1回オリンピック復活プレゼン」は18921125日にイベントのフィナーレを飾る講演会の3番目に登壇するも、準備不足(プログラムにオリンピックの復活が不記載)で、このプレゼンは失敗する。

クーベルタンの回想によると、「聴衆の反応を自分はさまざまに予想していた。そのどれもが悲観的なものだった。夢物語と笑われる? 大風呂敷にあきれる? 反発? それとも無視? 私の予想はすべて外れた。その一方で、大きな拍手があり、みなが成功を祝ってくれたが、私の訴えたことを、誰一人理解していなかった」と。

オリンピック復活を成し遂げたクーベルタン2回目の名プレゼン

前回のプレゼンが失敗に終わった一番の原因は、「オリンピック」とはどのようなものなのかを聴衆に理解してもらえなかったことだとクーベルタンは理解した。「私が復活させたいのはこれだ!」というものを、会議参加者に明確に分かるように提示する必要があると。そのため、彼は準備段階から、大胆不敵で独創的なアイデアを随所に盛り込んだ。

①プレゼン半年前から、彼は根回しを始めた。

②祝典とレセプションを、初日に持ってきた。 

初日に参加者の心を掴み、その後の会議をスムーズに進める狙いから、普通なら会議の最終日に行う儀式を、会期の冒頭に置いた。

③委員会をふたつに分けた。

議論百出のアマチュア問題を1委員会のテーマに押し込め、オリンピックから切り離した。

 

④開会式の入場券に「オリンピック大会復活会議」を印刷した。 

祝典とレセプションを、あたかもオリンピック復活を祝うような印象を与えるために。

⑤会場は今回もソルボンヌ大学大講堂。

「オリンピック会議+名門大学大講堂」の組み合わせで、理性よりも感情に訴えかけた。

⑥ギリシャ国王から感謝の電報。 

復活の賛否を問う投票が行われる2日前に、復活が決まったことに対して、クーベルタンや会議参加者に感謝するというギリシャ国王から電報が届き披露された。これはクーベルタンの確信的なフライングながら、復活会議が既成事実であるかのような錯覚を与えた。

⑦音楽で感動を動かす。 

前年発掘された「デルポイのアポロン賛歌」の楽譜を作曲家ガブリエル・フォーレに合唱曲に仕立ててもらい、これをハープと大編成の合唱をバックに、当時オペラ座花形のジャンヌ・ルマルクに熱唱させ、初日に大講堂に響き渡らせオリンピック復活機運を煽った。

※参考資料:『歴史を動かしたプレゼン』(林寧彦著/新潮社刊)

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2024年6月18日 (火)

老舗の虎屋に伝わる「儀式」と「掟書」

虎屋には代が替わり、新しい当主が事業を引き継いだ時に必ず行う儀式がある。京都の店には福徳、富貴の神様である毘沙門天が祀ってあり、普段は厨子の奥に封印されているが、その中に、九代目の当主・黒川光博氏も一人で入って像を拝んだ。お像の前に立って340分の間対峙していると、いろいろな思いが胸を去来したという。

お客様に対する責任、従業員やその家族に対する責任。何千人という人たちのことをこれから考えていかなければいけないと感じたり。では、自分は何をやるかと考えても、何も書かれたものがなく,これをしてはいけないという決まりもない。だから後のことはお前に任せるぞ。お前がこの時代を背負っていくのだから、自分の責任でやっていけばいいと。

代々残されてきた教えの中「掟書」があり、これが一番現代的で分かりやすいという。そこには、「倹約を第一に心がけ、よい提案があれば各自文書にして提出すること」や「お客様が世間の噂話をしても、こちらからはしない。また、子供や女性のお使いであっても、丁寧に応対して冗談は言わぬこと」など。現代にも通用するようなことが諸々書いてある。

ただ、変えてはいけないものがある一方で、変えていかなければいけないものもあるとの思いが九代目にはあるという。やはりその時代時代にあった味というものがあるのではないかと。例えば戦後のような甘味不足の中でお感じになる甘さと、和洋菓子が豊富にある現代の甘さは少し違う。和菓子の味は、時代によって変えていかなければならないと。

「和菓子」という言葉はいつからあるか 『和菓子とくらし(淡交社)』より

「和菓子」は明治時代以降に大量に移入された西洋の菓子と、日本の菓子を区別するために生まれた言葉で、現在のところ明治43年(1910)の『家庭実用百科大苑』に見えるのが、もっとも古い記録だそうです。「和菓子」に定着するまで、邦菓、日本菓子などいろいろな呼び方がありました。辞書に採録されたのは戦後のこととあります。

和菓子の歴史 『和菓子めぐり(発行所:JTB)』より

今でも果物を水菓子というように、本来、菓子とは木の実や果物を指した。甘い食べ物が少なかった時代は、干柿や栗でも貴重な甘味であり、現在私たちのいう菓子に近いものと感じられていたらしい。そのためか果物と菓子の区別が曖昧な時代が長く続く。菓子が嗜好品としての地位を確立し、今日のように多種多様になるのは、江戸時代も半ばのこと。

日本の菓子のもう一つの原形は、穀物を加工した餡や団子と考えられる。こうした日本古来の食物に外来食物の影響が加わり、和菓子の歴史は変化した。その外来食物としてまず挙げられるのが、奈良~平安時代に中国から伝わった唐菓子。多くは、米や麦の粉を練って様々な形に作り、油で揚げたもので、一部は今も神社などで神饌として作られている。

二番目は鎌倉~室町時代にかけ、禅宗とともに伝来した点心(昼食代わりの軽食で、羊羹や饅頭の原形はここに)。三番目は、室町末期よりポルトガルとの交流で入ってきた南蛮菓子(カステラ、金平糖、ボーロなど)。この3つの外来の食物の影響を受け、鎖国下の江戸時代、色・形・名前・素材ともに独自の菓子が作られるようになった。

※参考文献:『11話、読めば心が熱くなる 365人の仕事の教科書 1126日:虎屋に代々伝わる儀式と掟書き(虎屋社長・黒川光博)』

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2024年6月13日 (木)

病気発症時間帯など生活と時間の関係性

代謝の低い朝方は、心的時間のペースよりも物理的時間の進み方が相対的に速くなる。他方、夕方に向けて代謝が激しい時間帯になると、心的時計のペースも速くなるので、時間がゆったり流れるように感じ。このため、記憶力は夕方、論理的判断力は午前中に高まる。精神活動に関しても、24時間の周期性があることが知られています。

私たちの心の状態が身体の影響を受けることを考えれば、身体と同様に精神活動にも1日の時間帯に対応した周期性があることはそれほど不思議ではない。短期記憶や計算能力、注意を必要とするような課題の成績は、体温の高い時間帯(午後4時頃から8時頃)に最もよくなり、論理的な判断は10001400頃に比較的良い状態に至ります。

病気を発症しやすい時間帯

サーカディアンリズム(24時間の身体変動リズム)は、作業の効率だけではなく、さまざまな疾病の発症とも関係があります。たとえば心臓発作や脳卒中、片頭痛、花粉症による鼻炎は午前中におこりやすく、歯痛は夜間に、ぜんそくの発作や死、出産などは早朝、未明の時間帯に生じやすいのです。

このように疾病の発現しやすい時間帯があるという特性は、身体時計がつかさどる身体の内分泌系の変動リズムと対応していると考えられています。私たちの身体の状態は常に一定ではなく周期で変動します。そのために、薬効も時間帯によって違うため、薬効が生じやすい投薬のタイミングを操作する手法は「時間医学」において実施されています。

一日の始まりを正しく迎える

研究によれば、人間のストレスホルモンの大半は、目覚めてから数分のうちに分泌される。それは、「闘争・逃走」本能が刺激され、血液中にコルチゾールが分泌されるからだ。試しに、目が覚めたら、横になったままで2分間、自分の呼吸を意識する。これからの1日のことが頭に浮かんだら、意識をそこから逸らして自分の呼吸に注意を戻すようにする。

出社したら仕事に取りかかる前に10分間、マインドフルネスの短いエクササイズをして脳の力を高めよう。目を閉じてリラックスし、背筋を伸ばして座る。そして全意識を自分の呼吸に集中させる。一連の意識の流れを、息遣いだけに向けるのだ。吸って、吐いて、吸って、吐いて。呼吸に集中しやすいように、息を吐き出すたびに回数を無言で数えよう。

集中する時間のつくり方

2014年、イギリスのメンタルヘルス・ファンデーションが実施した調査で、長時間働いているとどんな変化が生じるか尋ねたところ、従業員の58%が「怒りっぽくなる」、34%が「不安になる」、27%が「気分が落ち込む」と回答した。誰もが責務を背負っていて、プレッシャーを感じているのだから、ストレスを感じることもあるだろう。

だが、注意深くセルフマネジメントをおこなえば、大切にしている目標に集中するための時間を捻出できるようになる。そのために、次の点を心がけよう ⦿「ノー」と言えるようになる ⦿「より長く」働くのではなく、「より賢く」働く ⦿メールと距離を置く ⦿終業時刻がきたら、かならず仕事を切りあげる ⦿「完璧」にこだわらない

参考文献:『「時間の使い方」を科学する』(一川 誠著/PHP研究所刊)

『マインドフルネス』(ハーバード・ビジネス・レビュー編集部編/ダイヤモンド社刊)

SWITCH CRAFT 切り替える力』(エレーヌ・フォックス著/NHK出版刊)

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2024年6月 5日 (水)

落語&吉本喜劇による病的痛み緩和効果

『生命のバカ力 *1』によると、遺伝子のONOFF機能をうまく活用するには、それなりの要因が必要です。例えば、末期がんを宣告された人達がモンブラン登頂に挑戦したところ、免疫力が上昇したという実例がありあす。また、がん患者に落語を聴かせ、大いに笑ってもらったあとで免疫力を測定したら、向上していたという臨床報告もあります。

第一の事例:日本医大の吉野教授の実験

19953月、日本医大の吉野教授は水道橋にあった日本医大病院に落語家の林家木久蔵師匠を招き、中程度から重症の26人(4366歳迄平均577歳)の女性リュウマチ患者さんたちに落語を1時間聞いてもらい、その前後に血液を採取して調べてみた。比較対象のため健康な女性31人(3174歳迄平均515歳)にも参加してもらった。

その結果、痛みの程度をVAS(ビジュアル・アナログ・スケール=10センチの物差しを使って、想像できる最高の痛みを10として、いまの痛みはどのあたりかを指し示してもらう方法)を使って調べた結果、落語を聞く前と後では、わずか一時間笑っただけで全員が痛みが楽になり、3週間もその効果が続いた人もいたそうである。

 

血液データとしては、炎症の悪化のカギとなる物質で免疫にも関係する生理活性物質「インターロイキン6」と「インターフェロン」が独演会の後では顕著に減っていることがわかった。特にインターロイキン6の減少は26人中22人に見られた。中にはその値が健康な人の10倍以上あったのに、正常範囲まで改善した患者さんもいた。

第二の事例:岡山県倉敷市の柴田病院の伊丹仁朗先生による実験

1991年、笑ったあとで血液中の免疫力がどう変化するかの実験。がんや心臓病の人を含む男女19人(2062歳)に吉本新喜劇を見せ、その前後に採血し、3時間の笑いの効果を調べた。がん細胞を食いちぎってやっつけてしまうナチュラル・キラー(NK)細胞の元気度は、笑う前に低過ぎた人はすべて正常まで改善し、高すぎた人も正常範囲に戻った。

大笑いは心理的な効果だけでなく、短時間に免疫力を正常化させる効果があることがわかった。注射で免疫力を活性化するには3日もかかるが、笑うことは、とても速効性があるのである。1年後、がん患者さんばかり20人で実験を追試してみたが、やはり同じ効果が出た。この実験結果は日本心身医学学会総会で発表され、最優秀論文の栄誉に輝いた。

米国のジャーナリストの事例

1964年、50歳のときに、外国旅行から帰国した直後、突然、膠原病(強直性脊椎炎)という難病に襲われ、医師から、全快のチャンスは500分の1と言われました。このとき彼は、「医者に見放されて、もうダメだ」と思うのではなく、こう考えたと言います。「何もかも、医師に任せ切ったのではダメだ。自分でも、何とかしなくては…」と。

そして、彼は10分間腹を抱えて笑うと、少なくとも2時間は痛みを感ぜずに眠れるという笑いの効用に気づき、病室にユーモアあふれるコミック、映画やテレビ番組のビデオなどを大量に持ち込み、それを見ては意識的に大声で笑うようにしました。こうした取り組みが血液中の血沈を低下させるなどの効果に繋がり、やがて職場に復帰できるまで回復した。

※参考資料:*1『生命のバカ力』(村上和雄著/講談社刊)

『笑いの研究』(井上宏&織田正吉&昇幹夫共著/日本実業出版刊)

『笑いと治癒力』(ノーマン・カズンズ著/岩波書店刊)

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2024年6月 2日 (日)

名著『自助論』に登場する興味深い話

「人生は自分の手でしか開けない!」と題した「自助論」の序文より

「天は自ら助くる者を助く」。この格言は、幾多の試練を経て現代にまで語り継がれてきた。その短い章句には、人間の数限りない経験から導き出された一つの真理がはっきりと示されている。自助の精神は、人間が真の成長を遂げるための礎である。自助の精神が多くの人々の生活に根づくなら、それは活力に溢れた強い国家を築く原動力となるだろう。

ベートーベンの座右の銘「自らの力で自らを助けたまえ」

ある時、ピアノ奏者のモシュレスが、ベートーベンにオペラ「フィデリオ」のピアノ用楽譜を手渡したが、その最後のぺージのかたすみには「神の助けによって、つつがなく演奏が終わるように」と記されていた。それを見たベートーベンは、すぐにペンを取ると、その下にこう書き足した。「神に頼るとは何たることだ。自らの力で自らを助けたまえ」と。

志が高ければ、いずれ収まるところに収まる

ある日のこと、大工の彼は知事が腰かける椅子の修理を命じられ、カンナをかけていた。だが、その仕事ぶりがバカ丁寧過ぎるため、傍らで見ていた人が理由を尋ねた。すると彼はこう答えた。「実をいうと、私がこの椅子に腰かける日のために、少しでも座り心地をよくしておこうと思ったので」と。しかも不思議なことに彼はその後実際に知事となった。

「ひょうたんザル」の教訓 

アルジリアのカビール地方の農夫は、猿の手が丁度入る位の穴が開いた瓢箪を木に確りと括り付け、中に米粒を入れておく。夜になると、猿が来て瓢箪の穴に手を突っ込み、米粒を鷲掴みにする。そして握った手をそのまま引き抜こうとするが、きつくて抜けない。手を緩めればいいのに、そこまで知恵が回らず、夜が明けると農夫に生け捕りにされる。

ニュートンを襲った不幸

彼の飼い犬ダイヤモンドが、机の上に立ててあった蝋燭を何かのはずみで倒し、貴重な書類が一瞬のうちに灰になってしまった。長年の研究の成果が跡形もなく失われてしまったショックで、彼はその後しばらくの間健康を害し、理解力もかなり減退したという。しかし『年代記』を15回書き直し、『自叙伝』を9度改めた精神力で立ち直りも早かった。

手際の良い仕事のたとえと、多くの仕事を処理する心得

「手際のよさとは、箱に物を詰める仕事に似ている。荷造り上手は、下手な人間の2倍近くも多くの荷物を入れられる」

この指摘をしたという聖職者は、同時に「多くの仕事を処理するいちばんの近道は、1度に1つしか仕事をしないことだ」とも言っている。

10日仕事で金貨50枚は高い?

ある時、ベネチアの貴族がミケランジェロに胸像を依頼した。彼は10日で像を作り上げ、金貨50枚を請求した。貴族は「たかだか10日で仕上げた作品にしては法外な代金だ」と抗議した。だが、ミケランジェロはこう答えた。「胸像を10日で作り上げられるようになるまでに、私が30年間の修業を積んできたということを、あなたは忘れている」と。

モンタギュー夫人の有名な言葉

「礼儀作法には金がかからない。しかも礼をつくすだけで何でも手に入る」

立派なマナーは生活にうるおいを添える。立派なマナーとは立派な行動の別名であり、それは礼儀正しさと親切心から成り立っている。人と人とが有意義で愉快な交際を続けるには、親切心が重要な役割を果たす。

※参考文献:『自助論』(サミュエル・スマイルズ著/三笠書房刊、初版は1849年英国)

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