「地名」の由来は人名、自然、文化など
文京区の小石川(元は小石川村)の「春日」は徳川三代将軍家光の乳母・春日局が賜ったことに因む。同じく文京区の「音羽」は1681年に江戸城奥女中・音羽にこの土地を与えたのが由来。渋谷区の「初台」は徳川秀忠の乳母・初台局が自分の菩提寺として正春寺を建立したことによる。東京23区を見渡してもこれほど艶っぽい地名はないだろう。
JR山手線の駅名でもある有楽町は、信長の弟・織田有楽斎の屋敷があったことに因む。東京の玄関口・八重洲は、日本に漂着したオランダ人で家康の厚遇を得たヤン・ヨーステン(ヤウスとも)の屋敷を「八重洲御殿」と読んだのが地名の起こりだという。地下鉄の駅名になっている皇居西側の半蔵門は、伊賀忍者・服部半蔵の組屋敷があったことに由来。
認められないはずの同一市名が誕生したワケ
同音同字体の市名は、これまで東京都と広島県の府中市ただ一例。本来は、同音同字体の市名は認められていないのだ。昭和の大合併で誕生した府中市の場合は例外中の例外で、まだ自治省(現総務省)の指示が徹底していなかったうえに、両市とも市になったのが同時期だったために起きた現象。ところが、平成の大合併でまた1組誕生することになった。
「伊達市」である。伊達郡7町(その後2町が離脱し5町に)が「伊達市」を申告するも、すでに北海道にあり、好ましくないと跳ね返された。その後他の申請事例等を踏まえ総務省の姿勢が「既存の市から異論がなければ支障ない」と変更された。そこで、北海道「伊達市」に問い合わせると、福島県の「伊達」への配慮から了解が得られ、2例目が誕生した。
本拠地が鹿嶋市なのに「鹿島アントラーズ」なのはなぜ?
Jリーグ発足時(1993年:平成5年)に参画(オリジナル10)したチームは、地元が「鹿島町」だったことから「鹿島アントラーズ」と命名された。ところが1995(平成7)年に鹿島町他が市に昇格する際、鹿島市を申請したが、佐賀県に同名市が存在することから変更を求められやむなく「鹿嶋市」とした。チーム名はファンの心証を慮りそのまま継続。
日本は難読地名の宝庫
「一口」は、一般の常識では「ひとくち」「いちくち」「いっこう」としか読めないが、実は「いもあらい」と読む。京都市のさらに南に久御山町がある。そこに昔から「一口(いもあらい)」という地名がある。この地は桂川、宇治川、木津川の合流地点だという。語源は不明確ながら、「自然災害時の斎(いみ)を祓(はら)う」説には説得力がありそう。
実は東京にも、イモアライに関する地名が3つある。いずれも坂の名前。まずは、六本木の交差点近くに「芋洗い坂」がある。さらに、靖国神社のすぐ裏手の坂が「一口坂」。現在は「ひとくちざか」と呼んでいるが、もともとは「いもあらい坂」であった。もう一つはお茶の水駅のすぐそばにある「淡路坂」がそれ。この坂は昔、一口坂とも呼ばれていた。
地名のついた色
「新橋色」:緑がかった明るい青。
「根岸色」:灰みの黄緑色。根岸とは現在の東京都台東区にある地名。
「深川鼠」:青みがかった灰色で「淡鼠」と同色とされます。
「江戸紫」:武蔵野に自生した紫草の根である紫根で染めたことに由来する、青みの紫色。
※参考文献;『東京の地名 由来辞典』(竹内誠編/東京堂出版刊)
『日本の地名 雑学辞典』(浅井健爾著/日本実業出版社刊)
『地名の魅力』(谷川彰英著/理想社刊)
『日本の色手帳』(日本色彩学会監修/東京書籍刊)
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