米国の大実業家3者3様の新聞少年体験
❖新聞販売活動から「顧客データ」の価値に目覚めたマイケル・デル氏
日米とも、新聞少年は貧しい家庭環境の人たちが多いようですが、マイケル少年は裕福な歯科医師の家庭だった。その彼が新聞販売に携わったのは、学費目的ではなく、株式仲買人であった母親の影響で、早くからビジネスに関心を寄せていたからだという。その早熟な少年が16歳時に始めたのが新聞の新規購読勧誘のアルバイトだった。
彼は、新規購読者獲得の努力を続ける中で、効率よく契約を獲得するには、ターゲットの絞り込みがポイントになることを理解した。その彼が有力ターゲットとしたのは、「新しいコミュニティに引っ越してきた」「家を建て替えた」「子供ができた」「結婚した」など、直近に生活環境に変化が生じた人たち。まさにマーケティングの実践者だったといえる。
このように、顧客データを分析することで、マーケットのニーズが読み取れることを学んだ彼は、パソコン市場に進出するが、マーケットの熟成度がかなり高まってきていることから、余分なコストをかけず、ユーザーが求めるスペックを提供するという、業界初の受注生産方式を採用した。高度な顧客データ分析が業績向上に寄与したのは言うまでもない。
❖サム・ウォルトンの「やり通す力」を育んだ新聞販売コンクール
彼の弟が兄の成功の秘密を尋ねられた際に述べた言葉は、「子どものころから、サムは心に決めたことをやり通すという点ではずば抜けていた。それは彼の天性の才能だと思う。彼が新聞配達の仕事をしていた頃、ちょっとしたコンテストがあった。確かではないが、賞金は10ドルだったと思う。彼は1軒1軒新聞を売り歩き、コンテストに優勝した」。
サム・ウォルトンの事業は1962年まで雑貨店だったが、この年の7月に最初のウォルマート・ディスカウント・シティを、アーカンソー州ロジャーズに開いた。立地は、周囲から無謀と評されたが、ここから次々に出店を続け、32年後の1999年には世界最大規模のチェーンストアに。新聞少年時代のコンテスト優勝にその片鱗が見て取れるかも。
❖ウォルト・ディズニーを終生苦しめた6年間の新聞配達体験
アイルランド移民だったディズニー一家が最初に住んだカンザスシチーで、父親は新聞販売業を始めることにし、朝刊の『タイムズ』紙と夕刊および日曜版の『スター』紙の配達を700件受け持った。ウォルトは妹のルースと小学校に通っていたが、やがてロイ(すぐ上の兄、その後共同経営者となる)とともに父の新聞配達の仕事を手伝うようになった。
彼は毎朝3時半起床、4時半から来る日も来る日も、朝と夕、新聞配達を続けた。6年間で休んだのは病気の4週間だけであった。まだ幼なかった彼は何度も雪の吹きだまりに転げ落ち首まで埋もれた。受け持ち区域のどこかに新聞を配達し忘れたのではないかという不安は、その後も繰り返し夢となって、ウォルト・ディズニーを晩年まで苦しめた。
※参考文献: 『ビョナリー・ピープル』(ジェリー・ポラス&スチュワート・エメリー&マーク・トンプソン著/英治出版刊)
『デルの革命』(マイケル・デル著/ 日本経済新聞社刊)
『サービスが伝説になるとき』(ベッツィ・サンダース著/ダイヤモンド社刊)
『ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯』(ボブ・トマス著/講談社刊)
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