「母から息子へ」「子から母へ」の手紙
文字を学び直して書いた、野口英世への母(シカ)の手紙
「お前の出世には、皆たまげました。
私も喜んでおりまする。
どうか早く来てくだされ。
早く来てくだされ。早く来てくだされ。早く来てくだされ。早く来てくだされ。
一生の頼みでありまする。
西さ向いては拝み、東さ向いては拝み、しております。
北さ向いては拝みおります。南さ向いては拝んでおりまする。
早く来てくだされ。
いつ来ると教えてくだされ。
この返事、待ちわびておりまする。
寝ても眠られません」
『親のこころ』(木村耕一編著/万年堂出版刊/p.90-91より)
しかし、研究に追われる英世は、この手紙を受け取っても帰国しなかった(研究が佳境で、多忙で帰国できなかったのも一因か)。これを見かねた英世の同郷の友人が、母親の写真を撮ってアメリカに送った。英世は、母の写真を一目見て、大きな衝撃を受けた。そこには、男勝りだった記憶の中の母親の面影がまったくなかったからである。
野口英世の生まれ故郷である福島県猪苗代町では、この手紙に因んで「母から子への手紙」コンテストが「猪苗代町絆づくり実行委員会」によって続けられている。日ごろ心に秘めている「わが子への想い」を手紙に託し、互いの絆を見つめ直してみようとの主旨。日本全国から寄せられた四千通の母から子への手紙が2003年以降毎年書籍化されている。
日本一短い手紙として知られ、簡潔手紙の手本とされるのは、徳川家康家臣の本多重次(通称:作左衛門)が長篠の戦の陣中から妻にあてて書いた「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」とされる。この「お仙」は当時幼子であった嫡子・仙千代(成重)のこと、といわれる。この本多家の居城が福井県丸岡町にある丸岡城。
こうした関係から、平成5年に福井県丸岡町が主催で、日本で初めての試みとして、単なる町興しの為でなく、手紙文化の復権及び昂揚の一環として企画され、一冊の作品集として刊行されたのが『日本一短い「母」への手紙』(福井県丸岡町編/大巧社刊)。32,236通の手紙が寄せられ、その一通一通に“母”への想いが満ちあふれている。
第一回一筆啓上賞(郵政大臣賞)10作品
お母さん、雪の降る夜に私を生んで下さってありがとう。
もうすぐ雪ですね。(天根利徳さん作)
あと10分で着きます。手紙よりさきにつくと思います。
あとで読んで笑って下さい。(瀬谷英佑さん作)
「私、母親似でブス。」娘が笑って言うの。
私、同じ事泣いて言ったのに。ごめんねお母さん。(田口信子さん作)
桔梗が、ポンと音をたてて咲きました。
日傘をさしたお母さんを、思い出しました。(谷本栄治さん作)
母親の 野太い指の味がする
ささがきごぼう 噛まずに飲み込む(鶴田裕子さん作)
絹さやの筋をとっていたら、無性に母に会いたくなった。
母さんどうしてますか。(中村みどりさん作)
おかあさんのおならをした後の、「どうもあらへん」という言葉が、
私の支えです。(浜辺幸子さん作)
お母さん、ぼくの机に引きだしの中にできた湖を
のぞかないで下さい。(福田越さん作)
お母さん、私は大きくなったら家にいる。
「お帰り。」と言って子供と遊んでやるんだよ。(藤田摩耶さん作)
お母さん、もういいよ。病院から、お父さん連れて帰ろう。
二人とも死んだら、いや。(安野栄子さん作)
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