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2025年1月

2025年1月31日 (金)

昭和の「キャンペー広告」代表的な3例

明治製菓「おれ、ゴリラ。」 350万通の応募集める

1972(昭和47)年103日の明治製菓(現・明治)「おれ、ゴリラ。」は、景品であるゴリラにフォーカスした大胆な広告。新聞は「おれ、ゴリラ」「おれ、景品」をキャッチフレーズに、ゴリラの体型、扱い方、質感などゴリラの説明だけしかコピーに記されていない。テレビCMでは、「おれ、ゴリラ。おれ、社長の代理」と発言し堂々とスターぶり。

「ネコより、でかいゾ」「おれって、ほんものみたい」との作り方のリアリティーが人気の秘密だったとか。「手も足も思い通りに振り付けすることができる」「首は心持ち曲げる。上・下・左・右自由自在に」「オレの質感はバツグンだよン」「おれのポーズを変えるときは全身の骨をまず、伸ばしてから曲げてネ」などと、ゴリラに語らせる手法が面白い。

応募方法は、明治の板チョコの包み紙100円分を1口とし、毎週土曜日に締め切りの12週間。毎週1000匹が当たる(総数12000匹)。キャンペーン応募総数380万通と大人気に。同年1028日パンダが来日。これをきっかけ動物のCMが目立ち始めたが、「おれ、ゴリラ」はいやし系ペットブームとは違う強烈な存在感を主張する異色な作品だった。

「ペコちゃんいくつ?」 遊び心のあるキャンペーン

1958(昭和33)年104日の不二家の広告は、みんなに親しまれているペコちゃんの年齢を決めるユニークな懸賞広告。「ペコちゃんいくつ?」とキャッチフレーズの問いかけに、「リボンを見ると…」「目は…」「こんな生意気な…」「こんなすごいブランコの…」とコピーにヒントが添えられ、一番応募数の多い年齢がペコちゃんの年齢になるとの趣向。

応募の仕方は、ミルキー、またはフランスキャラメル、野球キャラメルの空き箱の裏に、住所、氏名とペコちゃんの年齢を書いて送る(応募166万件)。賞品は1等・日野のルノーデラックス(乗用車)3名、2等・水谷の自転車(22インチ)100名、3等・ペコちゃん人形(大型)5000名。結果、投票の一番多かった6歳がペコちゃんの永遠の年齢に。

「エンゼルは男の子? 女の子?」 応募438万通(当時の世界最高)

1957(昭和32)年4月~6月に行われた森永製菓の「エンゼルは男の子? 女の子?」クイズキャンペーンは、大きな話題になった。60日間に4385000という驚異的な応募数を記録。投票の多い方を正解にするところがミソだが、キャラメル、チョコレートの外箱に答えを書いて送るため、販売に直結するキャンペーンだった。

賞品の魅力も応募者を増やす大きな要因になった。エンゼル賞・ダットサン乗用車(4人)をはじめ、特賞・撮影映写機セットまたは白黒テレビ(10人)、一等・全音オルガン、サイクリング車、テープレコーダー、ダイヤ指輪、8ミリ映写機(いずれか一品)(50人)などいずれも当時大衆の憧れの品がずらりと並んでいた。

自社のマークに注目を集め、投票の多い方を正解にするところがミソで、販促に大きく寄与し、企業への親しみを増す狙いは成功した。結果、「男の子」が245万通を集めた。

なお、1962年に「不当景品類及び不当表示防止法」制定により、景品付き販売は規制を受けるようになった。現在はキャラメルを買って車が当たるようなキャンペーンは不可。

※参考文献:『日本の歴史的広告クリエイティブ100選〈江戸時代~戦前戦後~現代まで〉』(岡田芳郎著/宣伝会議刊)

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2025年1月26日 (日)

ライバルを束ねた岡田屋→イオンの場合

岡田屋のルーツと先進的経営法

イオンの前身は四日市の岡田屋呉服店(創業は江戸時代に遡る)。四日市という交通の要衝に位置した岡田屋はかなり先見的な経営を行っていた。1887年には五代目・惣右衛門が「見競勘定」という現代でいう貸借対照表を導入した複式簿記を採用している。92年には店規則(現代でいう就業規則)を定め、店員の資格制度や給与規定を定めている。

1904年には商品券を発行し、店舗を2回移転している(土地に拘らないのは岡田屋の伝統)。21年には呉服店だけではなく洋服部を設置し洋服の販売を始め、株式会社岡田屋呉服店を資本金25万円でスタートした。同時に帳簿を複式帳簿とした。当時四日市では株式会社は数軒であり、岡田屋呉服店は近代的な進歩的な会社として有名だったという。

1946年6月岡田卓也氏が大学生社長に就任。1958年、近鉄四日市駅前にSSDDS(セルフ・サービス・ディスカウント・デパートメント・ストアの略)の百貨店(オカダヤ百貨店)をオープン。この時代を先取りした業態(セルフサービス&ディスカウント)は、四日市市民はじめ近隣から支持され、同駅前に同時期開業の近鉄百貨店を凌駕したという。

流通革命への目覚めと環境整備

岡田卓也は1959年に1か月米国を視察。当時の米国小売業は日本とは比較にならないほど近代化しており、全米中に広がる広域のチェーンストアがあった。そのうちの一つA&P70008000店という規模であった。この小売業の姿がいずれ日本にも訪れるだろうことを岡田は予測し、またそうすべきだと実感して脳裏に刻んだ。

明確な目標をもぅった岡田は、帰国後、四日市店の増床、伊勢オカダヤをオープン、桑名店をオープン、スーパーマーケットの橋北店、富田店、富州原店の3店を同時オープンと本格的にスーパーマーケットに着手した。1963年の新入社員は200名で大卒の採用を積極的に展開した。大学は北海道から鹿児島まで広く、採用大学は18校に及んだ。

岡田屋は1964年に初の県外店舗を愛知県岡崎市にオープン。開業に際しては通例の披露パーティーは行わず、その代わりに岡崎市に700本の桜の苗木を寄付した。これは岡崎市の城跡付近に植えられ、いまでは岡崎公園の桜の名所となっている。これが端緒となって、その後イオンは進出先での地道な環境整備に力を入れるようになった。

当時の日本では、メーカーの大量生産に対応する小売業が存在しなかった。そのため、価格決定権をメーカーが持ち、小売業は下請けのような立場でしかいられなかった。そのような体制では本来の消費者へのサービスというものができないと岡田は考え(ダイエーの中内功氏にも通じる)、メーカー主導から小売り主導への本格的流通革命にチャレンジする。

自力拡大では時間がかかりすぎるため「合併」による拡大にシフトチェンジ。伊勢の「カツムラ」、静岡県の「マルサ」、豊橋市の「浦柴屋」と業務提携・合併で態勢を整えた。直後に岡田屋とほぼ同規模(ライバル)の兵庫県フタギと合併に向けて新会社設立の準備委員会を発足させ、その後、大阪のシロも加わりジャスコが設立されることになる。

合併では、ライバルだった3企業をいったんご破算にし、まったく新しい組織を作った。その後の発展につながる合併成功の要因は、最初に3社で異なる「用語の統一=ジャスコ統一用語」を作成したことか。これにより社内コミュニケーションが円滑に回り出した。また、出身母体によるハンデが生じない各種の施策(特に人事政策)はどれもお見事。

※参考文献:『イオンを創った女』(東海友和著/プレジデント社刊)

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2025年1月16日 (木)

「愛」と「希望」と「勇気」関連名言集

「愛」について(マザー・テレサ)

💙愛とは、大きな愛情をもって小さなことをすることです。

💙真に愛そうとするなら、許すことを学ばなければなりません。

💙この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓のほうが大きいのです。

💙愛の反対は憎悪ではない、無関心である。

 

「愛」について

💙人間の心は愛することを学びながら苦しむことも同時に学ぶ。ウジェニー・ゲラン

💙愛の悲劇というものはない。愛がないことの中にのみ悲劇がある。モーリス・テスカ

💙愛は喪失であり、断念である。愛はすべてを人に与えてしまったときに、もっとも富んでいる。グッコー

💙確実に幸福な人となるただひとつの道は、人を愛することだ。トルストイ

 

「希望」について

♦希望があるところに人生がある。希望が新たな人生をもたらし、再び強い気持ちにさせてくれる。アンネ・フランク

♦希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。魯迅

♦リーダーとは、「希望を配る人」のことである。ナポレオン・ボナパルト

♦努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。井上靖

 

「勇気」について

♠誰からも良い人だと思われることを目指すと、誰からもどうでもいい人になってしまいますよ。だからこれからは、嫌われる勇気を持ちなさい。秋元康

♠夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。ウォルト・ディズニー

♠もしもこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないだろう。新渡戸稲造

♠英雄は普通の人より勇気があるのではなく、ただ5分間ほど勇気が長続きするだけである。ラルフ・ウォルドー・エマーソン(米の思想家、作家、詩人)

♠トップにノーと言うのは勇気のいることかもしれないが、言うべきノーを言わなければ会社はやがて危機に陥るだろう。堀場雅夫

 

『勇気と希望』著者ローザ・パークスの言葉――バス座席を白人へ譲ることを拒否し有罪に。これが381日のバス乗車拒否運動の発火点となった。

私は長年の経験から、「決意すれば、恐れる心を打ち消すことができる」ということを学びました。何をすべきかわかっていさえすれば、恐れることなど何もないのです。

逮捕されたあの日(1955121日アラバマ州タスキーギを走行中のバスで彼女は座っていた黒人用座席を白人に譲るよう運転手から命令に従わずその場で逮捕された:山本註)、あのバスの座席に座った時、私は家に帰るつもりでおりました。

しかし、あの時、自身が何をすべきなのか、自分は何を正しいと思っているのか、即座に判断し、心を決したのでした。身体が疲れていたとか、怖いとか、考えませんでした。過去何年もの間、わが同胞たちがいじめられ、ひどい扱いを受けて苦しんでいたことを思うと、席を譲らないこと、そしてその結果直面するであろうし仕打ち(罰金14ドルの有罪判決:山本註)は、重要なことではなかったのです。あの席に座っていることに対し、恐れをまったく感じませんでした。

※参考文献:『人生を動かす 賢者の名言』(池田書店編集部編/池田書店刊)

『勇気と希望』(ローザ・パークス著/サイマル出版会刊)

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