龍安寺・石庭と寝殿造風の日本の小学校
作家の志賀直哉と画家の川端龍子による龍安寺再発見!
雑誌『女性』(1924年8月)に掲載された志賀直哉の随筆「龍安寺 相阿弥の庭」より
「一樹一草も使わぬという事は勿論其庭に一樹一草もない意味ではない。吾々は広々として海に点在する島々を観、島々には鬱蒼たる森林の茂るのを観る。僅か五十余坪の地面に此の大自然を煮つめる為にはこれは実に、相阿弥にとって唯一の方法だったに違いない。」この志賀の随筆は龍安寺石庭を有名にする効果があったようである。
たとえば、物理学者で古寺調査でも有名な中村清二博士が書いたように、「近く川端龍子氏がこの庭園を題材として彩筆を揮い、また志賀直哉氏が其の大著『座右宝』の中にこれを収めたので急に世人の注目を喚起して、訪問者が頓に増した」という。
時系列では、1924年8月にまず志賀の随筆『龍安寺の庭』が『女性』誌に。9月2~29日の第11回日本美術院展覧会に川端龍子の屏風絵「大蛇龍安泉石」が出品され、26年3月26-30日、志賀は京都と奈良の絵画と絵巻、仏像彫刻、庭園建築の写真を丸善で展示。同時に『座右宝』を出版し、龍安寺石庭の写真を「建築及び庭園の部」に掲載している。
寝殿造の伝統を継承した公立小学校(昭和後期頃の小学校の敷地の解説文より)
平行して建つ校舎の両端を渡り廊下(渡廊)でつなぎ、中間には中庭(坪:寝殿と対屋つなぐ廊下の中間にできた方角の区画)があります。それらの正面には運動場(大庭)が配されています。校舎の外周には駐輪場や自動車の駐車場(屋戸)があり、運動場の端には、季節を感じさせる桜や、目隠しのための樫などが植えられています。
近年新しくつくられる校舎では該当しない場合もありますが、小学校の敷地の構成は、典型的とされる寝殿造り住宅(主に平安時代における貴族の邸宅として使われていた:代表的建造物は京都御所・紫宸殿や東三条殿)に似通っています。これも多数の人が一つの行事をするための土地利用は、傾向が似ていることをそれとなく示しています。
「庭」とは
古くは祭紀や儀式を行うための神聖な場所をさしたと言われています。日本の政治は主に天皇を中心とする朝廷によって行われてきましたが、まさに朝廷の「廷」は庭に由来するのです。早朝、白砂を敷いて浄化された庭に皇族が集まり、儀式を行ったことがその語源とされています。『日本庭園のひみつ』(宮元健次著/メイツ出版刊)より
地球の規模から日本を眺めると、列島全体が日本庭園のようである
周辺に大洋が、内海が、湖が、山河がある。日本庭園はその縮図である。桂離宮には天橋立が、小石川後楽園には白糸の滝や寝覚の床が、水前寺成趣園には富士山が、金閣寺には淡路島がある。池は海を模してあることが多く、よく見れば池畔には岬がある。水面に突き出た石は島。湧き水から流れ出る小さな水路は川を、また砂地もしばしば川であり、海である。
『和の美が心を洗う 日本庭園』(TAC出版編集部編/TAC出版刊)より
※参考文献:『志賀直哉で「世界文学」を読み解く』(郭南燕著/作品社刊)
『京都発・庭の歴史』(今江秀史著/世界思想社刊 序章より)
『日本庭園のひみつ』(宮元健次著/メイツ出版刊)
『和の美が心を洗う 日本庭園』(TAC出版編集部編/TAC出版刊)
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