世界的デザイナーにとっての百の「白」
【白湯】
茶事とは、お茶を喫する、あるいはものを食するという人の営みの一端。茶室に入る前の待合で、白湯が出される。煎茶でも酒でもない、無味ながら温まった湯を丁寧に供されると、日々の暮らしで汚れてしまった心身が清められたような気分になり、これまで味わってきた食の記憶までもが一度初期化され、零度の境地へと連れ戻された感覚になる。
【さくら】
白湯を入れた白磁の茶碗に塩漬けの桜の花弁をひとひら落す。湯に薄まりつつ立ち上ってくる桜の香り。湯をかすかに染めるさくらの色。京都のしだれ桜は美しい。そして幻想的でもある。しかし日本人の心にあるさくらはソメイヨシノでもしだれ桜でも山桜でもない。ようするに「さくら」という幻想ではないかと最近では思うようになった。
【醤油差し】
磁器で忘れてならないのは、飯茶碗や皿、醤油差しといった、工業製品として量産される日用品。陶磁器というと手作りの一品ものや芸術的評価の定まったものに目が行きがちであるが、生活の美を作り出しているのは、量と安定性である。手ぶれや歪みを称揚してきた日本文化であるが、暮らしの小さな幸福を支えているのは、工業製品としての陶器である。
【紙】
紙の本質は、汚れやすく、傷みやすいという点である。いかにもはかなげなものがすれすれの命脈を保ちながら眼前にあるという、繊細な感覚を揺り起こす緊張感が、紙というものの根源である。人類はこのような「無垢」を突きつけられ続けることで、知恵と集中力、そして細やかな感受性に辿りついたのである。
【白衣】
医師や研究者は白衣を着ている。襟付きの長袖で丈は膝下あたり。制服ではなさそうだがなぜこれを纏うのか、診察や化学実験には、厳粛さが求められる。派手な柄物の衣服など身につけていてはきまりが悪い。白衣なら袖を通すだけでその場の空気が変わる。診察をする方も受ける方も、落ち着くのであろう。
【概念】
人間は概念を持ち、そういう目をしている。ライオンは概念を持たず野生の目をしている。もしも言葉を持たないで、純粋に本能だけで生きているとすると、僕はライオンのような目をして「うー」と終始唸っているかもしれない。「白」もまた言葉であり概念である。だから詩人(下記)はこのような表現を生み出し、僕らは白について考えたりするのである。
「どんなに白い白も、本当の白であったためしはない。一点の翳もない白の中に、目に見えぬ微小の黒がかくれていて、それは常に白の構造そのものである。白は黒を敵視せぬところか、むしろ白は白ゆえに黒を生み、黒をはぐくむと理解される。存在のその瞬間から白はすでに黒へと生き始めているのだ」。(谷川俊太郎「灰についての私見」部分)
上記は原研哉著『白百』(中央公論社)の百の「白」から、冒頭部分の4行で著者の意図がある程度読み取れ、ブログ投稿者がその文意に共感できるものを、100節中の6節取り上げさせていただきました。
最後は、原研哉著『白百』の「中央公論社 あとがき」です。
白があるのではない。白いと感じる感受性があるのだ。だから白を探してはいけない。白いと感じる感じ方を探るのだ――日本文化の繊細さと簡潔さを生み出し支える美意識の原点を、デザインの現場で活躍する著者が多角的に考察した「白の美学」。なお、著者は「まえがき」で、白に一を加えて百。この漢字のイマジネーションにも勇気をもらったと。
【真珠】
真珠は生まれ方が神秘的である。貝には、貝殻を形成する器官が備わっている。「外套膜」と呼ばれる部分がその機能を担うが、この外套膜の一部が、小さな異物とともに、何らかの拍子で貝の内側に侵入した結果、貝殻と同様の光沢がある物質でその異物を包み込んでしまう。これが真珠である。
※参考文献:『白百』(原研哉著/中央公論社刊)
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