« 世界的デザイナーにとっての百の「白」 | トップページ | 「雑談・会話・対話」と3つの「きく」 »

2025年4月13日 (日)

「駅弁」と「駅弁大会」と名品誕生秘話

日本人の心を掴んだ「駅弁大会」の草創期 

鉄道駅を中心に、細々と営業をスタートした各地の駅弁が、今日のように全国区商品としての「駅弁」となったのには、1966(昭和41)年にスタートし、今日まで連続して開催されてきた、京王百貨店新宿店の「駅弁大会」の貢献が大きい。だが、百貨店の「駅弁」大会の嚆矢は、1953(昭和28)年に高島屋大阪店開催の「有名駅弁即売会」といわれる。

百貨店の「駅弁大会」は、秀逸な企画が連発されたこともあり、1990年代後半には話題性の高さからマスコミの注目度も格段にアップしたという。そして京王百貨店の駅弁大会は、ふるさと代表味を競い、日本人の郷愁や郷土愛を喚起する「駅弁の甲子園」ともいうべき一大イベントへと発展していった(全都道府県を網羅するのには37年を要した)。

念願の「駅弁甲子園」が実現

『ニッポンの課長』(重松清著/日経BP)によると、2003年に沖縄にモノレールが開通し、沖縄県初の駅弁『海人がつくる壺川駅前弁当』が誕生した。加えて、各駅の業者さんの廃業や撤退で空白地帯となっていた徳島県が、その年のお盆から「阿波地鶏弁当」の販売を始めたことで、念願の全都道府県参加の「駅弁甲子園」が実現できることになったという。

50回連続1位の「いかめし」が殿堂入り

京王百貨店新宿店「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」で、2020年まで、なんと50回連続で売り上げ1位を記録したのが、北海道・森町にある、函館本線森駅の駅弁「いかめし」。まさに駅弁の王者といえる。その圧倒的な実績により殿堂入りを果たした「いかめし」は、2021年の第56回大会以降はランキングから除外されることとなった。

小さな町の、小さな駅から伝説が

製造元は、1903(明治36)年森駅で創業した株式会社いかめし阿部商店。昭和初期に水産業の方で失敗し、多額の借金を抱えていた頃に「いかめし」のアイデアが生まれた。素材が豊富なイカの胴体にわずかなお米(現在はうるち米ともち米をブレンド)を入れて煮ると結構パンパンに膨らみ食感が良くなり、旭川駐屯地に向かう兵隊さんに喜ばれたという。

活気ある実演販売が人気を呼ぶ

阿部商店は、催事にあらかじめ作ったものを運ぶということを絶対にしない。全国どこの会場へ行っても、職人が生のイカに米を詰めるところから始める。それがこだわりとのこと。最高記録で1日に1万個を売ったことも。「いかめし」は鍋でいったん煮えてしまうと、箱に詰めるのは早いので、スピーディーに販売でき5個、6個のまとめ買い客が多い。

製造元の阿部商店は、周辺で最大の駅であった函館駅に駅弁販売の願い出をしたものの、すでに他の駅弁業者が販売していたため却下され、やむなく森駅で販売することになった。だがその森駅では、現在「いかめし」は売られていない。ローカル線の宿命ともいえるが、2018年にキヨスクの閉店に合わせ販売を終了した(駅前の自社店舗では継続取扱い)。

廃線によって駅弁が販売できなくなった例など

北海道・興部(おこっべ)駅の駅弁「帆立しめじ弁当」は、1989(平成元)年に名寄本線の廃止と共に駅弁としての役目を終えている。また、群馬県・横川駅の「峠の釜めし」は、各地の駅弁大会で常に上位人気の有名駅弁だが、沿線でも利用者が最小の横川駅で売れる数はほんのわずかで、駅近の直営のロードサイド店の売上がはるかに多いという。

※参考文献:『なぜ駅弁がスーパーで売れるのか?』(長浜淳之介著/交通新聞社刊)

『ニッポンの課長』(重松清著/日経BP刊)

Leaf Wrapping 山本志のぶ ホームページはこちらです

研修講師のチョットいい話/stand.fm

|

« 世界的デザイナーにとっての百の「白」 | トップページ | 「雑談・会話・対話」と3つの「きく」 »

マーケティング・その他」カテゴリの記事