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2025年6月

2025年6月25日 (水)

ブルガリアヨーグルトの劇的な世界普及

2人の功労者

ロシア生まれの生物学者イリヤ・メチニコフは微生物が免疫に及ぼす影響を研究し、1908年にノーベル賞を受賞した。パストゥール研究所の主任研究員を務めたメチニコフは「老化は腸内の有害な細菌が原因」だとする説を唱え、ヨーグルトに含まれる数十種類の健康な細菌を体内に取り入れることで善玉菌が悪玉菌を抑えて胃腸を整えると主張した。

パストゥール研究所から数十キロ離れた場所でも、同じ考えのもと研究を進めている研究者がいた。ブリガリア出身の微生物学者スタメン・グリゴフだ。彼は質素な暮らしにもかかわらず、ブルガリア人が世界の平均寿命よりはるかに長生きであることに注目し、ブルガリアのヨーグルトには何か特別な特徴があるに違いないとの仮説を立て、研究を続けた。

スイスの研究所で働いていたグリコフは故郷から自家製のブルガリアヨーグルトがたっぷり入った伝統的な土鍋「ルカトカ」を持参していた。彼はこのヨーグルトを研究するうち、ブルガリアヨーグルトに含まれる細長い棒状の細菌を発見する。グリゴルフの研究成果はメチニコフのもとに届き、彼はヨーグルトが長寿に関係するという自説に確信を持つ。

ブルガリアヨーグルトに関する自説に自信を得たメチニコフは、やがて、画期的なある講演を行うことになる。この講演がヨーグルト史の転機になったとの評価がある。たったひとつの出来事から世界的な食の流行が生まれることはめったにないが、ヨーグルト産業は、190468日にパリで開催されたフランス農業学会の会場で生まれたと言えるだろう。

「老年期」と題したこの講演は、乳酸に含まれる善玉菌の重要性をメチニコフが繰り返し強調するものだった。この微生物は、長寿の国として知られるブルガリアで多く消費される酸乳に含まれています。このことから、ブルガリアの酸乳を食生活に取り入れれば腸内フローラが受ける悪影響を軽減できると考えてよいでしょうと。

このメチニコフの理論は一夜にしてセンセーションを巻き起こした。翌朝、フランスの『ル・タン』紙は、「老けたくない、長生きしたいと願う女性や聡明な殿方にぴったりの処方箋を紹介しよう。それは、ヨーグルトを食べること!」と報じた。海の向こうのアメリカでも1905年『シカゴ・ジャーナル』紙は、ヨーグルトを次のように紹介している。

ブルガリアのレシピを忠実に再現して作られた凝乳は、今では不老の薬とも言われている。このヨーグルトと呼ばれる物質は、腸内のすべての有害な細菌を死滅させると同時に、善玉菌と最高に相性が良い。見かけは普通のクリームチーズが腐ったような感じで、味も似ている。100歳まで生きたい願う人々は、朝食にヨーグルトだけをたっぷり食べていると。

日本にブルガリアヨーグルトが上陸

それは、1970(昭和45)年に大阪で開催された万国博覧会で、ブルガリア館はブルガリアヨーグルトを展示した。これが、本場ヨーロッパの無添加の酸っぱいヨーグルトの味を日本人が知るきっかけとなった。そして、デザートばかりでなく、サラダや料理の素材としても幅広く使われているといった情報もあわせて伝えられた。

これを受け、日本の食品会社が、乳酸菌のひとつであるブルガリア菌を使用したプレーンタイプのヨーグルトをブルガリアヨーグルトとして1971(陽把46)年に発売した。ただ、本場ブルガリアの味と食感は、当初、日本人にとって受け入れにくいものだったが、徐々に「健康」という切り口でその効用が取り上げられ、現在のように広く普及した。

参考文献』:『ヨーグルトの歴史』(ジューン・ハーシュ著/原書房/2021年刊)

『漬物を食べないと腸が病気になります』(松生恒夫著/廣済堂出版/2016年刊)

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2025年6月13日 (金)

ミシンも20世紀の名曲も「夢」の中から

ミシンの発明は恐ろしい夢から

夢の中でひらめくアイデアは、視覚的なメタファーの形をとることも多い。たとえば、イライアス・ハウがミシンの発明に取り組んでいたときのこと。機械に固定した針が簡単に布地を通るようにするにはどうしたらいいか途方に暮れていた。それというもの、ハウは手縫いで使う針のように糸穴は頭にあるものと決めてかかっていたからだ。

ある晩、ハルは、体に彩色を施した未開の部族に取り囲まれ、処刑される夢を見た。部族の戦士たちは槍を手にしていたが、見るとその槍は尖った先端に穴があいていた。ハウは夢から目覚めたとき、針の糸通しの穴の位置は、頭でも真ん中でもなく、針の先端に穴を開けることに気がついた。このちょっとした修正によって、ミシンが現実のものとなった。

ポール・マッカートニーが目覚めるとイエスタデイができていた

1965年5月のある朝、ポール・マッカートニーが目を覚ますと、頭の中に音楽が流れていた。それはとても心にしみるメロディーだった。マッカートニーは起き上がって、ベッドのそばにあるスタンドピアノでその曲を弾いてみた。いい曲だなあ。どこで聞いたんだろう…。当時、ビートルズは映画「ヘルプ!」の撮影中で、彼はロンドンにある母親の家にいた。

マッカートニーはその曲のタイトルを調べてみたが思い当たらない。人に聞かせると、誰もが聞いたことがないという。それどころか、メロディーの感じでは、君が作った曲のようだと言われる。それでも、マッカートニーは夢の中で曲想を得たなどとはどうしても信じられなかった。だから、そのメロディーに遊び心でナンセンスな歌詞をつけてみた――

自分のオリジナルだとようやく確信が持てると、マッカートニーは作曲に着手し、できあがったのが「イエスタデイ」だった。それから40年経った今日でも、「イエスタデイ」は「世界で最も多くカバーされた曲」としてギネス・ワールド・レコーズに認定され、1999年のBBCラジオ2の世論調査において「20世紀最高のベストソング」にランクイン。

ひらめきは休息の後に

難しい問題を前に、徹夜して考えに考え、ついに素晴らしい解決に到達した……そんな経験をしたことはない! 考えすぎると、大抵はつまらない結論に飛びついてしまう。特に、夜更かしして考え続けた場合がそうだ。良いアイデアは、あまり頭を使っていないときに、ふと思いつく。こうした傾向は、脳の仕組みによって説明できる。

脳には繊維状の神経細胞が数多く存在し、シナプスを介し相互に接続し信号を伝達する。特定のシナプス接続が強化されると、同パターンの神経興奮が起きやすくなり、記憶の形成に繋がる。シナプス接続の強化が生じるメカニズムにはいくつかの種類があるが、簡単に言えば、同じことをずっと考えていると、決まった思考パターンにとらわれてしまう。

最も効果的な休息は、おそらく睡眠である。参考文献の著者・吉田伸夫氏は、毎日10時間くらい寝るようにしていると。眠っているのはその半分ちょっとだが、それでも、存分に睡眠をとった方が、脳はよく働いてくれる。面白いアイデアは、覚醒してから23時間の間に思いつくことが多い。夜中にふと目覚めた際の閃き用に、枕元にメモ帳を用意と。

参考文献:『脳は眠らない 夢を生み出す脳のしくみ』(アンドレア・ロック著/      ランダムハウス講談社刊)

『アイデアのおもちゃ箱』(マイケル・マハルコ著/ダイヤモンド社刊)

『この世界を科学で眺めたら』(吉田伸夫著/技術評論社刊)

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2025年6月 3日 (火)

3人の写真家の眼差し「折々のことば」

3人の写真家が取り上げられた「折々のことば」は、20154月から始まった朝日新聞朝刊1面のコラム。執筆者は大阪大学名誉教授ほか複数の文化施設の責任者にも名を連ね、単独著作だけでも80冊以上ある高名な哲学者・鷲田清一さん。古来の金言からツイッターのつぶやきまで、さまざまな「ことば」を紹介し、思索をめぐらせます。

2024・9・26・27(3216 ・3217) 土門拳『風貌』から

いい写真というものは、写したのではなくて、写ったのである。

続くことばも味わい深い。「計算を踏みはずした時にだけ、そういういい写真が出来る」。作為をはぐらかすのだ。そういう写真を「鬼が手伝った写真」だと、写真家は言う。教育だってそう。子どもは「育てる」よりも「育つ」物と考えたほうがいい。大人がなすべきは、そこにいれば子どもが勝手に育つような空間を用意しておくことだろう。

気力は眼に出る/生活は顔色に出る/教養は声に出る     

さらに秘められた感情は口のまわりに、年齢や悲しみは後ろ姿に出ると、写真家は言う。なるほど伏せておきたいものにかぎって自分には見えないまま他人の目に晒されている。なんと無防備なこと。ただ「本人が欠点と思っているところが、実は案外、唯一の魅力だったりする」と、写真家は私どもを慰めてくれる。

2025・4・22・23(3385・3386) 島尾信三『魚は泳ぐ』から

人間はねぇ……スイッチを押すところを間違えると、間違って、ちゃあんと間違った人生になるんですよ。

人生が逸れても崩れだしても、「間違い」として否定できる能力とエネルギーがあるうちは修復も可能だ。が、まずはその原因となった状況から「逃げる方法」を知らないと、本当に壊れてしまうと写真家は言う。矛盾した自分も実は自分が演じ分けているという感覚がなくなり、死に抗うことなく吸い込まれてゆくと。

狡(ずる)さを訓練できていない人は、すがるものを必要としていますね。(島尾伸三)

対立や軋轢(あつれき)が生まれたり、犠牲が出たり、「悲しい物語」が発生したりしないように、「ズルく、まぁ上手に」やることが、人として独立して生きてゆくには必要だと、写真家は語る。未知の事態にも柔らかく対処できる能力を欠くと、過去の特定の経験に囚われたり、建前にばかりこだわってそれが少なからず犠牲者を生むことに無関心になったりすると。

2025・5・21・22(3405 ・3406) 星野道夫『ゴンべの森へ アフリカ旅日記』から

旅のスリルとは、思わぬ出来事が起こることではなく、何でもない一瞬一瞬の中にあるのかもしれない。

アラスカで暮らす写真家が初めて赤道近くのタンザニアを訪れた。ある日湖畔を散歩中に、網を繕う青年と出会い、おもわず笑みを交わした。些細(ささい)な光景であるが、世界のどこにあっても生存に欠くことができない共通の営みに異郷で触れると、たんなる移動や観光ではないときめきが生まれる。

原野に浮かぶ光にも、大都会を埋め尽くす夜景にも、ぼくは同じような愛(いと)しさを感じていた。

アラスカに生活の拠点を置く写真家は、飛行機でニューヨークに移動中、初めに荒涼たる原野にポツンと灯(とも)る光を見、次に大都会の煌々(こうこう)たる夜景を眼にする。自然を変えなかった暮らしと自然を改造しつくした暮らし。そのいずれにも地上における人々の生存の健気さ、儚さを見てしまうという。

出典:『朝日新聞・朝刊』「折々のことば」より

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