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2025年6月 3日 (火)

3人の写真家の眼差し「折々のことば」

3人の写真家が取り上げられた「折々のことば」は、20154月から始まった朝日新聞朝刊1面のコラム。執筆者は大阪大学名誉教授ほか複数の文化施設の責任者にも名を連ね、単独著作だけでも80冊以上ある高名な哲学者・鷲田清一さん。古来の金言からツイッターのつぶやきまで、さまざまな「ことば」を紹介し、思索をめぐらせます。

2024・9・26・27(3216 ・3217) 土門拳『風貌』から

いい写真というものは、写したのではなくて、写ったのである。

続くことばも味わい深い。「計算を踏みはずした時にだけ、そういういい写真が出来る」。作為をはぐらかすのだ。そういう写真を「鬼が手伝った写真」だと、写真家は言う。教育だってそう。子どもは「育てる」よりも「育つ」物と考えたほうがいい。大人がなすべきは、そこにいれば子どもが勝手に育つような空間を用意しておくことだろう。

気力は眼に出る/生活は顔色に出る/教養は声に出る     

さらに秘められた感情は口のまわりに、年齢や悲しみは後ろ姿に出ると、写真家は言う。なるほど伏せておきたいものにかぎって自分には見えないまま他人の目に晒されている。なんと無防備なこと。ただ「本人が欠点と思っているところが、実は案外、唯一の魅力だったりする」と、写真家は私どもを慰めてくれる。

2025・4・22・23(3385・3386) 島尾信三『魚は泳ぐ』から

人間はねぇ……スイッチを押すところを間違えると、間違って、ちゃあんと間違った人生になるんですよ。

人生が逸れても崩れだしても、「間違い」として否定できる能力とエネルギーがあるうちは修復も可能だ。が、まずはその原因となった状況から「逃げる方法」を知らないと、本当に壊れてしまうと写真家は言う。矛盾した自分も実は自分が演じ分けているという感覚がなくなり、死に抗うことなく吸い込まれてゆくと。

狡(ずる)さを訓練できていない人は、すがるものを必要としていますね。(島尾伸三)

対立や軋轢(あつれき)が生まれたり、犠牲が出たり、「悲しい物語」が発生したりしないように、「ズルく、まぁ上手に」やることが、人として独立して生きてゆくには必要だと、写真家は語る。未知の事態にも柔らかく対処できる能力を欠くと、過去の特定の経験に囚われたり、建前にばかりこだわってそれが少なからず犠牲者を生むことに無関心になったりすると。

2025・5・21・22(3405 ・3406) 星野道夫『ゴンべの森へ アフリカ旅日記』から

旅のスリルとは、思わぬ出来事が起こることではなく、何でもない一瞬一瞬の中にあるのかもしれない。

アラスカで暮らす写真家が初めて赤道近くのタンザニアを訪れた。ある日湖畔を散歩中に、網を繕う青年と出会い、おもわず笑みを交わした。些細(ささい)な光景であるが、世界のどこにあっても生存に欠くことができない共通の営みに異郷で触れると、たんなる移動や観光ではないときめきが生まれる。

原野に浮かぶ光にも、大都会を埋め尽くす夜景にも、ぼくは同じような愛(いと)しさを感じていた。

アラスカに生活の拠点を置く写真家は、飛行機でニューヨークに移動中、初めに荒涼たる原野にポツンと灯(とも)る光を見、次に大都会の煌々(こうこう)たる夜景を眼にする。自然を変えなかった暮らしと自然を改造しつくした暮らし。そのいずれにも地上における人々の生存の健気さ、儚さを見てしまうという。

出典:『朝日新聞・朝刊』「折々のことば」より

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