七福神巡りのエキスをチョイスしてみる
東京の主な七福神巡り
谷中七福神(田端駅~上野駅)、隅田川七福神(浅草駅~鐘ヶ淵駅)、浅草名所七福神(浅草駅周辺)、深川七福神(門前仲町駅~森下駅)、亀戸七福神(亀戸駅周辺)、柴又七福神(京成高砂駅~高砂駅)、日本橋七福神(水天宮前駅周辺)、港七福神(六本木一丁目駅~大門駅)、新宿山ノ手七福神(飯田橋駅~新宿御苑前駅)、東海七福神(新馬場駅~大森海岸駅)
当ブログ推奨の東京広域エリア七福神巡り
金龍山 浅草寺;台東区浅草(大黒天)
浅草寺に祀られている大黒天は、俗にいう米櫃大国として、江戸時代から市民の崇敬を集めていた。この大黒天は戦災で焼失、現在は伝法院に奉安されていた大黒天が、お身代わりとしてある。秘仏であるから普段は拝めないが、お正月七日までは御開帳される。
鷲(おおとり)神社:台東区千束(寿老人)
酉の市でしられる鷲神社は、江戸下町を代表する神社で、開運、商売繁盛、家運隆昌、子育て、出世の神として、また「おとりさま」と称され、下町で篤く崇敬されてきた。酉の市の謂われは、日本武尊が東征の帰途、神社の松に熊手を掛け、勝ち戦のお礼参りをしたのが11月の酉の日だったことから、その日に神様をお慰めする祭りが行われるようになった。
宝珠山 長命寺:墨田区向島(弁財天)
寛永年間、長命寺が宝樹山常泉寺と号していた頃、時の将軍徳川家光が付近で鷹狩をしていた。その最中、腹痛を起こした家光は、この寺の泉水を飲んで回復。これを喜び、その泉に長命水の名を与えた。以後この寺は、長命寺と号することになったという。
なお、長命寺は桜餅が有名で、高浜虚子に「桜餅 食うてぬけけり 長命寺」の句がある。
三囲(みめぐり)神社:墨田区向島(恵比寿・大黒天)
文和年間(1352~55年)に近江三井の僧・源慶が東国を訪れた際、この地に弘法大師創建ながら、荒れ果てた社があった。再建に着手すると壺が掘り出され、蓋を開けると白狐に跨った老人の像が現れた。その時、どこからともなく白狐が現れ、その像の周りを3回廻って去ったという。この故事が「みめぐり」の名の由来となる。豪商三井家の守り神でもある。
入谷鬼子母神:台東区下谷(福禄寿)
入谷の鬼子母神は朝顔市でも有名。今から350年余り前の1965(万治2)年に、沼津の法華宗大本山、徳永山光長寺、第20世日融上人が百姓の利兵衛から、入谷の土地を買い入れ、この地に仏立山真源寺を開基するにあたり、日蓮上人の尊像と共に鬼子母神を併祀、今日に至っている。根岸に住んでいた子規は「入谷から出る朝顔の車かな」と詠んだ。
正覚寺 寿永堂:台東区三ノ輪(布袋尊)
寿永寺は正覚山得生院寿永寺(通称赤門寺)という。今から380年前、1630(寛永7)年の創設。得生院寿永法尼は徳川二代将軍秀忠公の御廉室で、将軍の菩提を弔うために、この地に庵室を作り開基となる。境内に入ると本堂と庫裏との間に、石の大きな布袋像が鎮座している。丈の低い門柱の右には「笑門」、左には「福来」と彫ってあるという。
経栄山 題経寺:葛飾区柴又(毘沙門天は帝釈天の4大弟子の1人)
柴又帝釈天の正式名称は日蓮宗の経栄山題経寺という。江戸時代初期の1629(寛永6)年の創立。この寺には昔から日蓮上人が自ら刻んだという帝釈天の本尊が安置されていたが、江戸時代中期に所在不明になったという。この寺の境内左側に立派な鐘楼がある。山田洋次監督の「寅さんシリーズ」で、笠智衆氏演じる午前様の遠景としてよく登場していた。
参考文献』:『東京七福神を歩く』(佐藤真理子編集/JTBパブリッシング刊 )
『東京七福神めぐり』(東京街歩き委員会編/日本放送協会刊)
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