ミルクティーから実験計画法確立の統計学者
始まりは「紅茶の違いがわかる婦人」の存在
1920年代末のイングランドはケンブリッジ、ある夏の午後のことだった。大学教授たちとその夫人、それに数人の客から成るグループが屋外のテーブルを囲み、アフタヌーンティーを楽しんでいた。そのとき、ある婦人がこう言い出した。紅茶にミルクを注ぐのとミルクに紅茶を注ぐのでは味が違うのよ、と。
科学者を自負する男性たちは、それはまったくナンセンスだと一笑に付した。なにが違うというのだ? 彼らにしてみれば、紅茶とミルクが混ざってしまえば科学的な違いなどあり得なかった。一人の痩せた背の低い男がその問題に身を乗り出した。「その命題を検証してみようじゃないか」。興奮しながら、彼はさっそく実験を概説し始めた。ティーカップをずらりと並べ、いくつかには紅茶にミルクを注ぎ、残りにはミルクに紅茶を注いで、二つの違いを主張する婦人に飲んでもらうことにしたのである。
読者の中には、これは取るに足らないある夏の午後のお戯れとして、さっさと片づけてしまえばいいと思う方もいるに違いない。「婦人に違いが分かったところで、どうということもないだろう?」と聞きたいだろう。「この問題は重要ではないし、科学的に優れた価値もない」とあざ笑うだろう。「偉い人たちはそのすばらしい頭脳をもっと人類のために使うべきだよ」と。
そう、ケンブリッジの陽光まぶしい夏の午後だった。かの婦人は紅茶の淹れ方について正しかったのか、正しくなかったのか。その婦人が正しいかどうか判断する方法を見つけることをおもしろがって、どうしたら決着がつけられるかと髭の男を中心に話し合い始めた。彼らの多くが髭の男と共に熱心に実験準備に加わった。
ほどなくして、婦人に見えないところで紅茶が2つの違った淹れ方でカップに注がれた。やおら胸を張り、髭の男は最初のカップを婦人に差し出した。彼女はちょっとすすって、それが紅茶にミルクを注いだものだと断言した。男は説明を省いてその答えをノートに書き留め、また次のカップを差し出した。結果はどうなっただろうか?
この髭の男は当時30代後半のロナルド・エイルマー・フィッシャー(後にナイトの称号を受けロナルド・フィッシャー卿に)で、1935年『実験計画法』を著し、その第二章で紅茶を飲む実験について記している(実験結果については明記なし)。しかし、その場に居合わせたスミス教授らによると、婦人はどれも一つ残らず正確に言い当てたそうである。
※以上『統計を拓いた異才たち』(デイヴィッド・サルツブルグ著/日本経済新聞社刊)
英国王立科学協会が2003年に発表した「ミルクティーの牛乳と紅茶の関係」
「1杯の完璧な紅茶の淹れ方」というウイットに富んだプレスリリースから
牛乳は紅茶の前に注がれるべきである。なぜなら牛乳蛋白の変性(変質)は、牛乳が摂氏75度になると生じることが確かだから。もし牛乳がお湯の中に注がれると、それぞれの牛乳滴は牛乳としてのまとまりから外れ、確実に変質が生じるだけの時間を紅茶の高温に取り囲まれる。もしお湯が冷たい牛乳に注がれるならば、このような状況は遥かに起こりにくい。
※『統計学が最強の学問である』(西内啓著/ ダイヤモンド社刊)
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