マーケティング・その他

2024年10月 8日 (火)

サッカーの三苫選手から海外志向者へのアドバイス

【子どもたちへの3つのアドバイス】

1つ目は、「自分にしかない武器を持つこと」 三苫選手にとってそれは「ドリブル」

2つ目は、「自分を分析する力」 将来、海外に出て活躍したいのならば、自分が「なりたい姿」をイメージすることが重要になる。

3つ目は、「毎日の努力を怠らない」 将来なりたい自分になるためには、毎日少しずつ努力して成長を積み重ねていくしかない。本気で夢に向かっていくならば、1日も時間をおろそかにせずに努力できるはず。(20231月のJPFA最優秀選手賞受賞時)

【茶そばとパイナップルとキウイ】(小さな体の補完材となった3つの食材)

そばには、人間の体の中では生成することができず、外から摂取するしかない必須アミノ酸などが含まれている。また、筋肉などを作る要素であるたんぱく質も豊富だ。

ビタミンB1、B2といった疲労回復を促す栄養素が多いことも、練習から疲れて帰ってきた僕には最適だったのかもしれない。消化も良いので、夜食にはぴったりだと思う。

【ハンバーガーとポテト】

小学校を卒業してすぐの頃だろうか。練習前にハンバーガーとフライドポテトを食べたことがあった。すると、その日のトレーニングでは体が思うように動かず、子供ながらに「ああ、運動前に油ものは良くないな」と実感したのを覚えている。「サッカーが上手になりたい、体も強くしたい」と思っているのに、これではダメだと、ようやく気づいたのだ。

【白湯とマテ茶とナッツ】

試合に出て活躍している超一流選手がどんな食事をしているのかも研究した。現在は、朝起きた後に「白湯」を飲むことをルーティンにしている。これは先輩選手の真似だったのだが、自分なりに調べてみると、「白湯は体を温めてくれるので、血流がよくなって老廃物が体外に排出されやすくなり、胃腸を整えてくれる」ことが分かったからだ。

南米が原産の「マテ茶」を飲むようになったのも、レギュラーとして活躍している先輩にならったもの。マテ茶は鉄分が豊富で、優秀な選手を数多く輩出する南米で特に好まれている。カフェインも含まれているため集中力が高まるし、ビタミンが補給できるため疲労回復にも役立つ。栄養豊富で消化のいいナッツも、よくお菓子代わりに持って行った。

【体を回復させる4つのルーティーン】(睡眠と日光浴と昼寝とヨガ)

「動」と「静」は、表裏一体だ。体作りでも同様である。三苫は「難しいトレーニング」と同じくらい、「体を休ませる」ことも重要視している。サッカー選手にとって睡眠は本当に大切であるため、睡眠時間は9時間ぐらい取るように努めているが、なかなか難しい。それでも体を休めるために、毎日8時間は睡眠をとりたいと思っている。

【ヨガをすることで体の状態が把握できる】

朝に日光を浴びて体内時計をリセットしておけば、夜になれば自然と眠りに入りやすくなる。さらに夜はストレッチで体をリラックスさせ、時には瞑想にトライすることもある。オフの日にはヨガをすることもある。15分程度行うだけで体の可動域が広がり、有酸素運動にもなる。筋力も多少はつくが、ヨガは疲労回復の面でもちょうどいい強度になる。

※参考文献:『夢を叶える逆算思考』(三苫薫著/双葉社刊)

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2024年10月 3日 (木)

世界古典文学最高峰『源氏物語』の評価

『ウェイリー版 源氏物語』

アーサー・ウェイリーによる英訳『源氏物語』(『ザ・テイル・オブ・ゲンジ』)は、1925年に刊行が始まった。九年の歳月を掛け、第六巻で完結。この長大な物語に世界文学としての場所を与え、いまも影響をもたらし続けているウェイリー訳を、日本語に戻し訳(毬矢まりえ・森山恵共訳・全四巻/左右社刊)した作品はどのような位置づけがなされるか。

1925年出版時の評価(1)

■ヴァージニア・ウルフ(『ダロウェイ夫人』の出版年と重なる)が19257月刊のイギリス『ヴォーグ』誌の書評で、ウェイリー訳『源氏物語』を絶賛した。 ■ここにあるのは天才の作品である(モーニング・ポスト紙) ■ヨーロッパの小説がその誕生から300年にわたって徐々に得てきた特性のすべてが、すでにそこにあった(ザ・ネイション誌) 

評価(2)「戻し訳」の訳者あとがきより

フランスの小説家マルグリット・ユルスナ―は「自分の一番愛する小説家はムラサキシキブであり、彼女を深く尊敬し、敬愛している」とインタヴューで述べている。様々な社会の階層を描き分け、恋愛、人間のドラマを余人には真似できない方法で表現するという素晴らしい才能の持ち主で、彼女は中世日本におけるマルセル・プルーストである、と。

日米の専門家をも魅了

評判となっていた『ウェイリー版 源氏物語』を読み、絶賛したドナルド・キーン(米国出身の日本文化研究の第一人者で日本文学の世界的権威)は、この本との出会いが生涯を決めたと。文学者・正宗白鳥(明治から昭和にかけて活躍の小説家、劇作家。代表作に『文壇人物評論』)は『ウェイリー版』を読み、「はじめて源氏物語の面白さが分かった」と。

『ウェイリー版 源氏物語』の特徴と置き換え例

ウェイリー訳の特徴は「複雑な敬語をなくす」「主語の明確化」「言葉の置き換え」

置き換え例:「帝→エンペラー」「更衣→ワードローブのレディ(帝の衣装の世話をする)」「女御→ベッドチェンバーのレディ(帝の寝所の世話をする)」「御簾→カーテン」「琵琶→リュート」「前栽→コテッジの前庭」「修験者→エクソシスト」「物の怪→エイリアン」

以上を踏まえた「戻し訳」具体例

原文:いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめき給ふ有りけり。

ウェイリー訳→戻し訳:いつの時代のことでしたか、あるエンペラーの宮廷での物語でございます。ワードローブのレディ(更衣)、ベッドチェンバーのレディ(女御)など、後宮にはそれはそれは数多くの女性が仕えておりました。

安田登(能役者)の『源氏物語ごっこ』

カルチャーセンターの古典講座でも『源氏物語』が群を抜いての一番人気。しかし一方、「源氏物語」というタイトルすら聞きたくない方も多いと思います。世に源氏好きの方がたくさんいらっしゃるのと同じくらい、いや、それ以上に源氏嫌いな人たち。もう一方は学校の古文の授業で嫌いになった人たち。「敬語から主語を推測する」ことが難題だった、と。

※参考媒体:NHK Eテレ「100de名著」『源氏物語 A・ウェイリー版』特集放送!

https://book.asahi.com/article/11578498

https://shuchi.php.co.jp/article/10349?p=1

https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/24700/

参考文献:『源氏物語 A・ウェイリー版』(毬矢まりえ&森山恵共訳・全四巻/左右社刊)

『野の古典』(安田登著/紀伊国屋書店刊)

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2024年9月24日 (火)

孤児院の2人の聖女と乳幼児の死の原因

カルカッタ(現在のコルカタ)の聖マリア学院で、地理と歴史の教師から1944年には校長に任命されていたマザー・テレサは、1946年の9月、年に一度の黙想を行うため、ダージリンに向かう汽車に乗っていました。その際に、本人の言葉によると「すべてを捨て、もっとも貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたといいます。

マザー・テレサが汽車の中で啓示を受けた同じ年の年末、神奈川県大磯町に「エリザベス・サンダーズ・ホーム」を開設した沢田美喜さん(旧姓・岩崎:旧三菱財閥令嬢)は、東海道線下りの夜行に乗車(特攻隊の生き残りの息子に会うため)していました。終戦翌年でもあり、本数も限られ、車中はぎゅうぎゅう詰めで通路まで人が溢れていたといいます。

列車が岐阜の関ヶ原にさしかかったとき、列車が大きく揺れたせいだったのでしょう、網棚から沢田さんの手元に細長い形をした風呂敷包が落ちてきました。びっくりはしたものの沢田さんはそれを網棚に戻します。するとその直後、二人の警官が列車に踏み込んできて、「これはだれのだ?」と。そして「おまえのだな、あけてみろ」と指示されます。

外交官夫人となり、何か国も赴任経験のある沢田さんは、ひるむことなく風呂敷を解いていきます。ただ、なんとなくおかしな臭いが漂ってきました。これはいったい……なんなのだろう? 風呂敷の中には、新聞紙で幾重にも包まれた「もの」が入っていました。細い紐が十字に掛けられています。それをほどくと、中から出てきたのは赤ん坊の死体でした。

骨と皮だけになった赤ん坊の肌は、濃い茶色に見えました。これは、米兵と日本人女性の間に生まれた子だわ。かわいそうに…。なんてかわいそうなことを…。生ある者として生まれてきたのに、まるでごみのように捨てられてしまうなんて。沢田さんの心には、悲しみと悔しさと怒りがうずまきました。この体験が混血児の孤児院の開設に繋がります。

孤児院で明らかになった接触の大切さ

ヨーロッパで第二次世界大戦のすぐ後に起こった乳幼児の生存についての劇的な実例がある。孤児院での赤ちゃんは十分食事が与えられ、技術的にもよく看護されていたにもかかわらず、死亡率が極めて高かった(職員が殆んどいなかったため、赤ちゃんは手段としての接触はたくさん受けたが、感情表現的あるいは看護としての接触は殆んどなかった)。

その対策として、赤ちゃんを抱き、なだめて、食事を与えるために、未亡人か子どもがいない高齢の女性たちを雇い入れた。すると、乳幼児の死亡率はほとんどゼロにまで落ちた。接触して、抱いて、なだめ、看護することが、本当に乳幼児の命を救ったのである。戦争ですべての家族を失った高齢女性の多くは、うまく赤ちゃんを生き延びさせ、成長させた。

乳幼児期に、他者から受ける接触が、その後の人生で受ける接触よりも多いことは驚くべきことではない。母親と乳幼児との間における接触頻度や間隔はともに、12か月から2歳の間がピークになる。この期間を過ぎると、接触は一貫して減少する。実際には、最初の6カ月に男児は女児より多くの接触を受けるが、その後は女児がより多くの接触を受ける。

参考資料&文献:Wikipedia「マザー・テレサ」項

『名もなき花たちと』(小手鞠るい著/原書房刊)

『非言語行動の心理学』(VP・リッチモンド著/北大路書房刊)

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2024年9月17日 (火)

日々の生きる姿勢が最大の老化防止策⁉

65歳から90歳までの入居者の自己決定権の認識を操作する実験

施設の世話係が、2つの階の入居者を別々に集め、ある階では入居者一人ひとりに鉢植えを配り、鉢植えの世話は看護師がしてくれること、また自由時間(映画鑑賞、入居者との交流、読書、TV&ラジオ視聴等)のなどを含め、入居者にはある程度の自由は許されているが、彼らの健康は有能な職員が責任を持って管理する、というメッセージを伝えた。

これに対し、別の階の入居者には、一人ひとり好きな鉢植えを選ばせ、鉢植えの世話は自分でするように伝え、自由時間の使い方は別の階と同じ内容を伝え、この新しい施設を楽しい場所にできるかどうかは、入居者次第だということを強調し、「皆さんの人生ですよ。どんな人生にするかは、みなさん次第です」とのメッセージを伝えた。

選択権には多少違いはあったが、施設職員は2つの階の入居者をまったく同じように扱い、同様の世話をした。そして三週間後にどのような違いがあるかを調べたところ、選択の自由度が大きい入居者(後者)は、そうでない入居者に比べ、満足度が高く、生き生きしていて、身体的な健康状態は90%改善された。一方の階の人々には70%も悪化が見られた。

松下幸之助氏70歳時想起の「座右の銘」

パナソニック(旧・松下電器)を創業した松下幸之助氏が、晩年、座右の銘にしていた言葉があります。それは、「青春とは心の若さである/信念と希望にあふれ、勇気にみちて/日に新たな活動を続けるかぎり/青春は永遠にその人のものである」で、昭和四十年、幸之助翁が七十歳の時にサムエル・ウルマンの「青春」をベースにつくり上げたものでした。

サムエル・ウルマン「青春」(作山宗久訳)

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。

薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体 ではなく、

たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

 

青春とは怯懦(きょうだ)を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。

ときには、二〇歳の青年よりも六〇歳の人に青春がある。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

 

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。

苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥になる。

六〇歳であろうと一六歳であろうと人の胸には、

驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。

君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。

 

人から神から美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲歎の氷にとざされるとき、

二〇歳であろうと人は老いる。

頭(こうべ)を高く上げ希望の波をとらえる限り、

八〇歳であろうと人は青春にして已む。

 

※参考文献:『選択の科学』(シーナ・アイエンガー著/文藝春秋社刊)

『「青春」という名の詩 幻の詩人 サムエル・ウルマン』(宇野 収&作山宗久共著/産能出版部刊)

※参考Webサイト:https://konosuke-matsushita.com/column/cat64/leader48.php

https://mobility-career.jp/2022/10/10/seishun/

https://konan-es.com/past/8.hobby/hobby.htm

http://fukushima-net.com/sites/meigen/720

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2024年9月12日 (木)

「路上芸術」といわれるマンホール雑学

どうしてマンホールの蓋は丸い?

なぜマンホールの蓋は丸型(円形)なのかというと、きちんとした理由がそこにはある。1937(昭和12)年7月号の『電気学会雑誌』には、『蓋には丸型と角型とがあるが角型は破損しやすく、取り扱いにくく、かつマンホール内に落ち込む危険があるから普通丸型を用いる』とあり、角型は角度によってはホール内に蓋が落ち込むので採用されなかった。

マンホールは全国に約1600万個、その蓋は約1万種類

202465日『朝日新聞』朝刊「マンホールが開く、下水道の世界」によると、下水道を保守管理する出入り口であるマンホールは、全国に約1600万基あります。そのうち老朽化した蓋は350万基にのぼると言われ、下水道の管路も全体の2割にあたる10万キロは敷設から30年経過し、更新が追いついていないとのこと。

マンホールの蓋は地域にゆかりのある花や鳥、風景、建物、地元のゆるキャラなど、デザインは約1万種類あると言われている。職人が手作業で樹脂の着色料を注入した色つきの蓋も。その精巧な作りは「路上の芸術」と呼ばれ、多くのファンがいる。その歴史は古く、1977年に那覇市で地元の魚「ガーラ」(アジ)のモチーフが登場したと。

世界最古のマンホールの蓋は?

世界的にみると、現存する蓋としては、ポンペイ遺跡(イタリア)にある大理石製のものが最古といわれている。ただし、下水道はメソポタミア文明やインダス文明の頃から堀をつくる形で引かれていたので、さらに古い時代から下水道の蓋が使われていたと考えられる。なお『ローマの休日』に登場の「真実の口」は、元々はマンホールの蓋といわれる。

マンホールサミット

姫路城や富士山、漫画「銀河鉄道999」等々、全国各地のマンホールの蓋を集め、魅力を発信する「マンホールサミット」は、2014年から始まり、昨年、愛知県岡崎市で開かれた11回目のサミットには2日間で13千人が集まった。地域にゆかりのある花や鳥、風景、建物、地元のゆるキャラなど、デザインは約1万種類あると言われている。

個性的マンホールのふた、主な「アニメキャラ」

『鉄腕アトム』(千代田区)/『セーラームーン』(港区)/『シン・ゴジラ』(新宿区)/『ウルトラマン』(世田谷区)/3月のライオン』(渋谷区)/『あしたのジョー』『銀河鉄道999』『仮面ライダー』(練馬区)/『リカちゃん』『こち亀』『うる星やつら』(葛飾区)/『シティーハンター』(武蔵野市)/『ブラック・ジャック』(東久留米市)等。

日本のマンホールの種類

ご当地マンホール:城/文化財/富士山/街並/時計台/宇宙・星座/乗り物/景勝地/花火・記念/海浜/ダム・ヨット///消防/スポーツ/ゆるキャラ/キャラクター・レジャー/折り紙・民芸品/特産品・農業/果物/動物/虫・架空の生き物/恐竜/土器・昔話/伝統・文化他

花鳥風月なマンホール:魚5種&海の生き物/7/15/樹木2/その他

※参考文献:『路上の芸術』(村瀬直志編/ホビージャパン刊)

202465日『朝日新聞』朝刊「マンホールが開く、下水道の世界」

『マンホール』(石井英俊著/ミネルヴァ書房刊)

Webピックアップ

『厳選 デザインマンホール大図鑑』(カラーマンホール研究会編/グラフィック社刊)

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2024年9月 4日 (水)

有史以来最大の媒体はクチコミ

クチコミに関するグッドマンの法則

・苦情を言ってくるお客様は、26件のうちの一人と分析しています。つまり同じ思いのお客様が他に25人もいることになります。

・苦情の感情を持ったお客様は、そのことを平均して910人に話します。

・その結果、一件の苦情の申し出があったとき、250人前後の方が何らかの苦情を知っていると思った方がよいのです。

ケーキ店選択時、どちらのメッセージに影響されるか(全国の消費者1000人調査)

A 「あの店のケーキ、最高の美味しさなの(口コミ)」87%、

B 「当店のケーキは、最高の美味しさです(広告のイメージ)」13% 

媒体別「情報」の信頼度

(口コミ)は・・・・・(とても信頼できる)10%(信頼できる)60%、(どちらともいえない)28% (信頼できない)2% (まったく信頼できない)0

店頭で見る情報・・・・(とても信頼できる)3%、(信頼できる)42%、(どちらともいえない)48% (信頼できない)6% (まったく信頼できない)1

インターネットの口コミ情報・・・・・(とても信頼できる)2%、(信頼できる)39%、(どちらともいえない)49% (信頼できない)9% (まったく信頼できない)1

店員から聞く情報・・・・・(とても信頼できる)1%、(信頼できる)31%、(どちらともいえない)57% (信頼できない)10% (まったく信頼できない)1

マスコミに取り上げられた情報・・・・・(とても信頼できる)1%、(信頼できる)27%、(どちらともいえない)50% (信頼できない)17% (まったく信頼できない)5

企業の広告・・・・・(とても信頼できる)0%、(信頼できる)14%、(どちらともいえない)64% (信頼できない)10% (まったく信頼できない)2

参考までに「情報」別に5段階評価の上位2ランク(とても信頼できる)と(信頼できる)を合算した数値を「信頼できる」に置き換えると、

友人・知人からの情報(口コミ)70%   店頭で見る情報 45

インターネットの口コミ情報 41%    店員から聞く情報 32

マスコミに取り上げられた情報 28%   企業の広告 14

クチコミはどのように広がるか

マイケル・カファキーは「クチコミは…堂々と、だが静かに広まっていく。その間、広告業者たちは、クチコミと同じくらい劇的な効果をあげる広告をつくろうとがんばるが、結局うまくいかない。市場にはハイテクを駆使した誇大広告があふれている。クチコミとは、そうした広告をふるいにかけるため、我々の脳が備えたローテク技術なのである」。

クチコミが受け手の態度に与える影響

クチコミには、既存の考えを補強する働きだけではなく、意見を変更させたり、新たな意見や態度を創出させたりする働きも含まれる。

アトキン(Atkin,1962)の実験では、利用スーパーを変更した人のうち、理由が広告にあった人は48%であったのに対して、クチコミにあった人は80%に上った。

(文中「クチコミ」と「口コミ」併用は原典尊重のため)

※参考文献『苦情学』(関根眞一著/ 恒文社刊)

『小が大を超えるマーケティングの法則』(岩崎邦彦著/日本経済出版社刊)

『コトラーのマーケティングコンセプト』(フィリップ・コトラー著/東洋経済新報社刊)

『新マーケティング・コミュニケーション戦略論』(亀井明宏&ルデイィ-和子著/日経広告研究所刊)

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2024年8月30日 (金)

「ジェラート」の歴史を年代順に辿ると

最初に登場するのは聖書

ジェラートの起源は諸説いろいろあるようですが、<日本ジェラート協会>によると、ジェラートの歴史として最も古い記録は旧約聖書だそうで、中にでてくる「乳と蜜」が該当するらしい。同協会によると、「長老たちは夏に氷雪で冷やしたミルクシャーベット風の食べ物を愛飲していたと考えられます」とのこと。

ジェラートを最初に求めたのはシーザー

ヨーロッパ一帯からアラブ・エジプトを平定し、クレオパトラとのロマンスでも有名なローマの英雄ジュリアス・シーザー(BC10044年)。彼は、若者をアペニン山脈に走らせ、氷や雪を運ばせて乳や蜜、ワインなどを混ぜて飲んだと伝えられています。史実によれば、これが純粋に嗜好食品としてジェラートを求めた最初といわれているとか。

暴君で名高いローマの皇帝ネロ(DC3768年)は、アルプスから奴隷に万年雪を運ばせて、バラやスミレの花水、果汁・ハチミツ・樹液などをブレンドしてつくった「ドルチェ・ビータ」を愛飲していたといわれています。この「ジェラート風」はローマ市民の間にも広がり、裕福な家庭では自宅に氷の貯蔵庫を設け、宴会などで楽しんだと伝えられている。

古代ヨーロッパ文明の中心は地中海

シシリー島は東西文明の十字路ということもあり栄華を極めた。9世紀前半から2世紀半に亘りアラブ王サセランに支配され、イスラム文化が定着。アラブの「シャルバート」も伝えられ、その後「ソルベット」(シャーベットのイタリア語)へと変わっていく。シシリー島の様々なソルベットの中には、果実をふんだんに使った「カッサータ」があった。

アイスクリームが中国からイタリアへ伝わったという説も

それを持ち帰ったのがマルコ・ポーロ(12541324年)。彼の「東方見聞録」のなかには北京で乳を凍らせたアイスミルクを味わったという記述があり、その製法を伝えた。これがヴェネッィアで評判となり、氷菓の製法は北イタリア全土に広がったとも。その一方で、アラブから伝わったシャルバートがジェラートの発展に寄与したとの見方も。

メディチ家が果たした役割

1533年、ルネッサンスにも多大な影響を与えたフィレンツェの大富豪メディチ家から、カトリーヌ・ド・メディチがフランス王アンリ2世に嫁いだ。彼女は菓子やアイスクリーム職人を始め、多くの料理人を伴ってお国入りし、婚礼ではイタリアの豪勢な料理が提供された。なかでも各種フルーツをあしらったシャーベットは、フランス貴族を驚嘆させた。

ジェラートが現在の形になったのは16世紀になってからのこと。フィレンツェ出身の芸術家・建築家であるベルナルド・ブオンタレンティがジェラートを正式に開発し、それがフィレンツェの大富豪メディチ家によって秘匿(製法は国家の秘法)されてきたという。息女の婚姻によりフランス王室に伝えら、その後、ヨーロッパを中心に急速に広まった。

映画『ローマの休日』で欧州から全世界に

映画の中で、オードリー・ヘプバーン演じるアン王女はスペイン広場でジェラートを頬張る。このシーンは観客を魅了し、人々は、これまで以上にジェラートに憧れるようになったという。母国イタリア以上にインパクトがあったのがアメリカ。その衝撃がいかに大きかったかは、米国での映画公開日827日が世界で「ジェラートの日」になったこと。

※参考文献:「日本ジェラート協会」「竹田牧場」などの関連Webサイト等

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2024年8月 9日 (金)

署名作家たちは限りなく猫を愛していた

夏目漱石の「猫の死亡通知」

『作家と猫』(平凡社刊)に掲載された葉書の「死亡通知」をそのまま転載。

「辱知猫儀久々病気の処、療養不相叶、昨夜いつの間にかうらの物置のへっつい(竈)の上にて逝去致候。埋葬の儀は車屋をたのみ箱詰めにて裏の庭先にて執行仕候。但主人『三四郎』執筆中につき、御会葬には及び不申候。以上 九月十四日」

前記出典の(編集部注)によると、掲載された「猫の死亡通知」は、漱石の門下生で、ドイツ文学の小宮豊隆氏(著書『夏目漱石』で芸術院賞を受賞)に宛て1908年に送られた葉書の文面による。文中に登場する「猫」は小説『吾輩は猫である』のモデルとなった猫とされ、小宮豊隆氏は、漱石の小説『三四郎』 の主人公のモデルであるとも言われている。

向田邦子さんの愛猫紹介

マハシャイ・マミオ殿

偏食・好色・内弁慶・小心・テレ屋・甘ったれ・新しいもの好き・体裁屋・嘘つき・凝り性・怠け者・女房自慢・癇癪持ち・自信過剰・健忘症・医者嫌い・風呂嫌い・尊大・気まぐれ・オッチョコチョイ……。

きりがないので止めますが、貴男は誠に男の中の男であります。

私はそこに惚れているのです。

内田百閒の「迷い猫広告」

『作家と猫』(平凡社刊)に掲載された葉書の「死亡通知」をそのまま転載。

「三たび」迷い猫について皆様にお願ひ申します 

家の猫がどこかに迷ってまだ帰ってきませんが、その猫はシャム猫でも、ペルシャ猫でも、アンゴラ猫でもなく、極く普通のそこいらへんにどこにでもいる平凡な駄猫です。

しかし戻って来なければ困るのでありまして、往来で自転車に轢かれたり、よその橋の下で死んでいたり、猫捕りにつれていかれたり、そう云うこともないとは申されませんが、すでにいちいち考えて見て、或いは調べられる限りは調べて、そんな事はまずないと思うのです。

つまり、どこかのお宅で、迷い猫として飼われているか、又は、あまり外へ出た事がない若猫なので、家に帰る道がわからなくなって、迷っているかと思われるのです。

どうか似たような猫をお見かけになった方はご一報ください。お願い申します。

大変失礼なことを申すようですが、猫が無事に戻りましたら、心ばかりの御礼として三千円を呈上いたしたく存じます。

その猫の目じるし

1雄猫、2背は薄赤の虎ブチで白い毛が多い、3腹部は純白、4大ぶり、一貫目以上もあったが痩せているかもしれない、5顔や目つきがやさしい、6眼は青くない、7ひげが長い、8生後一年半余り、9ノラと呼べば返事をする。電話番号

(編集部注)溺愛していた飼い猫「ノラ」が19573月に失踪し、悲嘆に暮れていた百閒は『朝日新聞』に迷い猫の広告を出す。その後は約2週間ごとに五種類のチラシを印刷、百閒の住む麹町界隈で新聞の折り込み広告として配られた。広告で百閒はノラの目撃情報を募るとともに、「その猫の目じるし」として愛猫の特徴を列記している。

※参考文献:『作家と猫』(平凡社刊) 参考までに「章立て」を記すと

Ⅰ 猫、この不可思議な生き物 「猫の定義」ほか9名の作家が登場

Ⅱ 猫ほど見惚れるものはない 向田氏「マハシャイ・マミオ殿」含め10名の作家が登場

Ⅲ いっしょに暮らす日々 12名の作家が登場

Ⅳ 猫への反省文 5名の作家が登場

Ⅴ 猫がいない 内田百閒「迷い猫の広告、漱石「猫の死亡通知」含め8名の作家が登場

Ⅵ 猫的生き方のススメ 5名の作家が登場

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2024年8月 7日 (水)

橋物語「自殺防止」「執筆法」「告白」

その昔のイギリスの話です。ブラックフライヤーズ橋という自殺の名所といわれた、文字通り黒い橋がありました。何とか自殺を減らしたいと考えた市の行政官は、橋の色を黒から明るい緑色に塗り替えました。すると、色を変えただけなのに、自殺者が3分の1に減ったのです。緑色はアセチルコリンを分泌させ、ストレス解消という効果があるとか。

青色灯の自殺防止、防犯効果と麻薬中毒の関係

青色防犯灯も犯罪の予防効果があるといわれている。イギリスの都市グラスゴーで景観のために街灯を青色に換えたら犯罪が減った(青色だと静脈が見づらく麻薬中毒者が去った?)ことが発端となり、今や日本各地の自治体や自殺の多い駅のホームにも採用されている。他の場所と雰囲気が違うことを警戒して犯罪や自殺が減ると考えられている。

「ヘミングウェイの橋」と呼ばれる執筆法

彼は物語の展開がわかっているときだけ、その日の筆を擱くようにしていたのです。アイデアとエネルギーをすべて出し尽くしてその日を追えるのではなく、次の話の分岐点が鮮明になったところで終わりにする。そうすることで、次の日にまた取りかかるときは、話が見えているのでスタートが簡単だからなのだと。

吊り橋効果

アメリカで行われた心理学の実験では、危険な場所にいた男性ほうが、同一女性に倍くらいの魅力を感じた。ゆらゆら揺れる不安定な橋の上では、手すりを強く握りしめなければならないため、緊張の中で男性の心臓が早く鼓動し、息を切らし、汗をかいていたのでしょう。状況による生理的な違いが感性に働きかけた可能性が指摘されている。

実験は、ブリティシュ・コロンビア州の公園で行われた。魅力的な女性調査員が男性たちに近寄り、「授業の一環として、風景の美しさに関する調査をしているので、質問に答えてください」と言う。研究者たちは、質問に答えた男性のうち、その後何人がアシスタントの女性に電話をかけデートに誘ったか、声をかけられた場所別にその人数を記録した。

すると驚いたことに、安全な場所にいた男性よりも、深い渓谷にかかっている、渡るのに勇気のいる吊り橋の上にいた男性のほうが、女性に魅力を感じる確率がはるかに高かった。橋の上で話しかけられた男性のうち、65%が彼女に電話し、デートに誘った。ベンチで女性に話しかけられた男性のうち、電話をしてデートに誘ったのは36%だった。

吊り橋は高所だから緊張する。高所恐怖症でなくても多少はドキドキする。そうしたドキドキ時に告白されると、脳はおバカさんなので、そのドキドキしている理由を勘違いしてしまう。「あれ、自分はときめいているのか?」と。つまり、本当は吊り橋が怖くてドキドキしているのに、「告白してきたあの人が魅力的だから…」と早とちりするらしい。

※参考文献:『感性がビジネスを支配する』(小暮桂子&青木かおり著/フォーストプレス刊)

『仕掛学』(松村真宏著/東洋経済新報社刊)

『時間に追われない「知的生産術」』(ティアゴ・フォーテ著/東洋経済新報社刊)

『一瞬の表情で人を見抜く法』(佐藤綾子著/ PHP研究所刊)

『単純な脳、複雑な「私」』(池谷祐二著/朝日出版社刊)

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2024年7月30日 (火)

「地名」の由来は人名、自然、文化など

文京区の小石川(元は小石川村)の「春日」は徳川三代将軍家光の乳母・春日局が賜ったことに因む。同じく文京区の「音羽」は1681年に江戸城奥女中・音羽にこの土地を与えたのが由来。渋谷区の「初台」は徳川秀忠の乳母・初台局が自分の菩提寺として正春寺を建立したことによる。東京23区を見渡してもこれほど艶っぽい地名はないだろう。

JR山手線の駅名でもある有楽町は、信長の弟・織田有楽斎の屋敷があったことに因む。東京の玄関口・八重洲は、日本に漂着したオランダ人で家康の厚遇を得たヤン・ヨーステン(ヤウスとも)の屋敷を「八重洲御殿」と読んだのが地名の起こりだという。地下鉄の駅名になっている皇居西側の半蔵門は、伊賀忍者・服部半蔵の組屋敷があったことに由来。

認められないはずの同一市名が誕生したワケ

同音同字体の市名は、これまで東京都と広島県の府中市ただ一例。本来は、同音同字体の市名は認められていないのだ。昭和の大合併で誕生した府中市の場合は例外中の例外で、まだ自治省(現総務省)の指示が徹底していなかったうえに、両市とも市になったのが同時期だったために起きた現象。ところが、平成の大合併でまた1組誕生することになった。

「伊達市」である。伊達郡7町(その後2町が離脱し5町に)が「伊達市」を申告するも、すでに北海道にあり、好ましくないと跳ね返された。その後他の申請事例等を踏まえ総務省の姿勢が「既存の市から異論がなければ支障ない」と変更された。そこで、北海道「伊達市」に問い合わせると、福島県の「伊達」への配慮から了解が得られ、2例目が誕生した。

本拠地が鹿嶋市なのに「鹿島アントラーズ」なのはなぜ?

Jリーグ発足時(1993年:平成5年)に参画(オリジナル10)したチームは、地元が「鹿島町」だったことから「鹿島アントラーズ」と命名された。ところが1995(平成7)年に鹿島町他が市に昇格する際、鹿島市を申請したが、佐賀県に同名市が存在することから変更を求められやむなく「鹿嶋市」とした。チーム名はファンの心証を慮りそのまま継続。

日本は難読地名の宝庫

「一口」は、一般の常識では「ひとくち」「いちくち」「いっこう」としか読めないが、実は「いもあらい」と読む。京都市のさらに南に久御山町がある。そこに昔から「一口(いもあらい)」という地名がある。この地は桂川、宇治川、木津川の合流地点だという。語源は不明確ながら、「自然災害時の斎(いみ)を祓(はら)う」説には説得力がありそう。

 

実は東京にも、イモアライに関する地名が3つある。いずれも坂の名前。まずは、六本木の交差点近くに「芋洗い坂」がある。さらに、靖国神社のすぐ裏手の坂が「一口坂」。現在は「ひとくちざか」と呼んでいるが、もともとは「いもあらい坂」であった。もう一つはお茶の水駅のすぐそばにある「淡路坂」がそれ。この坂は昔、一口坂とも呼ばれていた。

地名のついた色

「新橋色」:緑がかった明るい青。

「根岸色」:灰みの黄緑色。根岸とは現在の東京都台東区にある地名。

「深川鼠」:青みがかった灰色で「淡鼠」と同色とされます。

「江戸紫」:武蔵野に自生した紫草の根である紫根で染めたことに由来する、青みの紫色。

 

※参考文献;『東京の地名 由来辞典』(竹内誠編/東京堂出版刊)

『日本の地名 雑学辞典』(浅井健爾著/日本実業出版社刊)

『地名の魅力』(谷川彰英著/理想社刊)

『日本の色手帳』(日本色彩学会監修/東京書籍刊)

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