マーケティング・その他

2023年11月27日 (月)

町工場の携帯向け金型が世界を制する!

株式会社インクスの創業者・山田眞次郎氏は、最新技術を駆使して、個人に依存した金型産業を自ら変革しようと思い立ち金型製造企業を創業した。最初に手掛けたのは、光造形技術の中の「三次元データから直接金型を制作する」というアイデアを、当時市場成長が予測された携帯電話に適用した。

携帯電話は小型で複雑な三次元形状をしているので、熟練技術者でも金型を制作するにはかなりの日数を要した。また切削工具では一体型の金型を制作することは難しく、通常は複数の部分に分けて貼り合わせることになる。しかしこの手法は強度の点で問題があった。また複数個の金型を同時に必要とする場合には、人手で対応することは困難だった。

山田社長はこうした問題点を見極め、金型を設計し制作するコンピューターシステムの独自開発を1995年に始めた。1996年、66歳の金型職人を雇い、熟練技術者の傍らに若者を侍らせ、わからないことは「なぜですか?」という質問させることで、徹底的に分析を進めた。「なぜそのように磨くのですか?」「しっくりさせるためさ」

すると若者は金型を借りて正確に測定し、金型のベースと部品の隙間が3ミクロンであることを発見する。この瞬間「しっくり」という感覚が3ミクロンという数値に置き換わり、IT化への階段を昇り始めることになった。このように属人的と思われていた技を一つひとつ数値化、再現性のある技術に変換する作業をなんと2年半にわたって続けた。

こうして、非熟練者でも再現できるように、金型設計・製作の工程すべてが再構築され、ついに19983月、それまで熟練工によって45日かかっていた携帯電話の金型設計・製作工程を、非熟練者でも6日(144時間で、およそ従来の6分の1)まで短縮した。山田社長はこれをさらに45時間に短縮しようと決意し、これを達成したチームに打診する。すると、「これ以上短くならない! 無理!」との回答が。この事態は、変革の本質を表している。「過去の変革チームは、新たな革新者にはなりにくい」ということ。

企業が変革を続けていく場合、この教訓を重く受け止めることが必要。どんな優秀なチームでも、自らの成功を一度否定し、新たな変革を遂行していくことは極めて困難。

そこで山田社長は「45時間」達成のために、未経験者ばかりを集めた「K2」チームを結成する。平均年齢26歳、平均勤続年数6ヵ月という文字通り素人集団。彼らは工程を見直し、6日達成の計1000工程を100工程に再定義し、全行程の因果関係を明確にして、前倒しできる工程や同時並行処理できる工程を詰めた結果、目標の「45時間」を実現した。

以上を『決定学の法則』著者・畑村洋太郎氏は「この会社は設計・製造の工程で『人間が行うこと』と『人間が内容を決定すればあとは全部機械が行うこと』を2つにハッキリと分け、人間が関わらなくて済むものは徹底的に排除し、また人間が関わっているものであってもそれに要する時間を最小化するという基本思想で、システム開発に取り組んだ」と総括。

参考文献:『セレンディピティ』(宮永博史著/詳伝社刊)

『決定学の法則』(畑村洋太郎著/文藝春秋刊)

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2023年11月23日 (木)

伝統を大事にした二代目の中村吉右衛門

歌舞伎界の大御所であり・人間国宝でもありながら、テレビの『鬼平犯科帳シリーズ』などで幅広い層から愛された二代目の中村吉右衛門さんが亡くなって、早くも2年の歳月が流れました。この間に、歌舞伎界には芳しくない話題もあるようですが、1121日の「歌舞伎座開園記念日」を期に、偉大な先達の芸道に対する姿勢を振り返ります。

「初代吉右衛門は『一生修行、毎日初日』と口癖のように唱えていたといいます。同じ役をひと月演じても、毎日初日のような気持ちで演じなさい、そのために一生修行しなさい。役者にとっては毎日のことであってもお客様にとってはその日限りなのです」と。

また、「舞台に染みついた血と汗と涙の結晶が現在の歌舞伎なんです」とも。

「芸を確立させていくのはまずは真似から入るしかありません。ただ、そこで止まったら単なる物真似で終わってしまう。真似ができたところがスタート地点」

「ある役者が練って練って作り出した芸を次の代が真似てそこでさらに練って自分らしさをつけ加えてそれが代々続いていく。常に磨かれていかなければ伝統ではない」

坂東玉三郎らしい言葉と、中村吉右衛門と共通する言葉

「美の基本は丁寧でなければなりません。私は、力技で他人と対さないということが、日本人ならではのやわらかさだと思います」

「他人への気遣いであり、優しさであり、また所作が丁寧であることもやわらかさに繋がるのだと思います」

「見る側のために伝承がある。けっして演る側の楽しみじゃなく、いかに内容をはっきりわからせ、奥深く見せるかのための伝承を大切にしていきたいと思います」

「伝承や型を考えてみて、脚本を読んで全体の意味を知りその中で自分の役割が何を表現したらよいかを掴まなければならないんです」

世界的建築家を悩ませた新歌舞伎座 現在の歌舞伎座は五代目に当たり、世界的建築家の隈研吾氏の設計により、20134月に完成。1121日が「歌舞伎座開業記念日」なのは、1889年(明治22年)のこの日、東京・木挽町(こびきちょう)(現:東銀座)に歌舞伎座が開場したことに由来する。座席数は1824(現在は1808)で、当時から日本を代表する大劇場だった。

建築様式は、四代(登録文化財)の唐破風、欄干などの特徴的な意匠を継承し、第四代歌舞伎座を踏襲するが、一方の高層部分は日本建築の捻子連子格子をモチーフとし、ガラスで柔らかな陰影のある外装。ただ、この和洋折衷方式は計画段階から各方面で大反対を受け、関係者を大いに悩ませたが、最後は設計者の強い意志が見事な造形を実現させた。

新歌舞伎座には、劇場部分とオフィスビル(地上29階:銀座で一番高いビル)の高低差を利用し、劇場屋上には日本庭園を備えるなど憩いの場も多い。また地下2階には400坪の大広場(木挽町広場)も併設され、防災用品の備蓄倉庫が設置されている。災害時には、建物全体で帰宅困難者3,000人の受け入れを想定し、約3日分の食料も備えている。

歌舞伎役者が流行らせた 役者色 歌舞伎役者が流行の最先端だった証が色彩にも。具体例としては、「路考茶(二代目瀬川菊之丞愛用の緑みの茶色)」「團十郎茶(市川家、成田屋のシンボル色赤茶色)」「芝翫(しかん)茶(三代目中村歌右衛門愛用の赤みの茶色)」「梅幸茶(初代尾上菊五郎の俳号をつけた緑みの茶)」「璃寛茶(二代目嵐吉三郎が好んだ渋い焦茶色)」

参考資料:Web『中村吉右衛門(二代目) 珠玉の名言・格言21選』&坂東玉三郎の名言集』 

『建築家、走る』(隈研吾著/新潮社刊)

『日本の伝統色』(福田邦夫著/東京美術刊)

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2023年11月 9日 (木)

身近な「鍋」に纏わる3つのエピソード

稲盛さんが創業した「京セラ」の本社や全国の主要な事業所には必ず和室があります。これらの和室は「コンパ」のために設けられたもの。コンパとは飲み会のことを指しますが、稲盛流コンパはその位置づけが異なります。多少羽目を外すことはあっても、上司や会社の陰口をたたく憂さ晴らしの場ではありません。

経営者と従業員、上司と部下、同僚同士が互いに胸襟を開き、仕事の悩みや働き方、生き方を本音で語り合う場なのです。お酒を通して一人ひとりが人間的に成長し、組織を強固な一枚岩にすることができるとの信念に基づきます。稲盛氏自身、体調を崩したら注射を打ってでも参加したといいます。夏場も冬場も鍋をつつきあって親睦を深めました。

この稲盛流コンパは京セラに限らず、氏が情熱を注いだ中小企業経営者の勉強会『盛和塾』でもまったく一緒でした。稲盛氏が好む車座の形を取ると、人数が多くても場が引き締まる。大人数の場合でも、510単位でグループに分ければ、議論が活発になるのだと。ただ、より深い議論が必要だと感じたら、経営者1人に対し13人の少人数もありとか。

「鍋」の中でアイデアが生まれるとき  アイデアと素材さえあれば、すぐに発酵するか、ビールができるのか、というと、そうではない。これをしばらくそっとしておく必要がある。〝寝させる〟のである。ここで素材と酵素の化学反応が進行する。どんなにいい素材といかに優れた酵素が揃っていても、一緒にしたらすぐアルコールになるということはあり得ない。

頭の中の醸造所で、時間をかける。あまり騒ぎ立ててはいけない。しばらく忘れるのである。〝見つめるナベは煮えない〟早く煮えないか、早く煮えないか、と絶えず鍋のふたをとっていては、いつまでたっても煮えない。あまり注意しすぎては、かえって、結果がよろしくない。しばらくは放っておく時間が必要だということを教えたものである。

中国の寓話「2つの鍋」 ある中国の老婆が大なべを2つ持っていた。老婆は毎日鍋を棒の左右に担いで近くの小川に行き、水を汲んで家に戻る。帰り着いたときには、片方の鍋には水がいっぱい入ったままなのに、もう一方の水は半分しか残っていない。じつは、その鍋はひびが入って、帰り道に水が漏れてしまうのだ。2つの鍋はこの状況に違った反応を見せた。

ひびの入っていない鍋は自分の働きぶりを誇りに思い。一方、ひびの入った鍋は惨めな気分で自分の欠点を恥じ、本来の働きの半分しかできないことをがっかりしていた。2年後、ひびの入った鍋は自分の気持ちを老婆に伝えると、あなたの鍋の側には花が咲いているけれど、もう一方の側には咲いていないことに気づいたか、と尋ねた。

老婆は、道のそちら側に花の種をまいた。老婆はひびの入った鍋に言った。「2年間、私はその美しい花を摘んで、食卓を飾ることができた。おまえにひびが入っていなかったら、花が我が家に彩りを添えることはなかっただろうよ」と。ひびの入った鍋は視野を狭めすぎて自分の欠点しか見えていなかったことに気づかされたというお話。

※参考文献:『稲盛流コンパ』(北方雅人&久保俊介著/日経BP社刊)

『思考の整理学』(外山滋比古著/筑摩書房刊)

『失敗は「そこ」からはじまる』(フランチェスカ・ジーノ著/ダイヤモンド社刊)

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2023年10月22日 (日)

新聞広告のユニークな「人材募集」と「商業広告」等

人材募集3例

1900年、ロンドンの新聞に掲載され人材募集が注目を集めた。その特異な内容は、「冒険旅行の隊員求む。僅かな報酬。極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証なし。成功の暁には名誉と賞賛を得る」であった。募集したのはイギリスの南極探検隊を率いた極地探検家で、南極探検の英雄時代の主役の一人であるアーネスト・シャクルトン。

ある牛乳取扱店が「アルバイト募集 時給いくらいくら まるまる牛乳店」のチラシを打ったが、電話が一本鳴っただけで、応募者はゼロ。そこで店主は、チラシ広告にある工夫をほどこした。すると次には10人近い応募があったという。店主がチラシにほどこした工夫はただ一か所、「牛乳店」を「ミルクスタンド」に変えたこと。

日本にも関連会社が数多く進出している広告業界の巨人オグルヴィ・アンド・メイザー社の事例。その内容は、「当社海外支社の一つが、今『類まれな白鳥』を求めています」というもの。この類まれな白鳥を、英語ではトランペッタースワンと。天才であり、かつスタッフを奮起させるリーダーシップも兼ね備えている存在を指すそうです

商業広告3例

新聞コラム横の2段突き出し広告を立て原稿と横原稿で多少内容を変えて打ったケース  答えは、横書きが32件、縦書きが87件。そもそも、読者はなぜ新聞を読む? それは記事を読むため。すると、パッと見て、広告とわかるものについては飛ばして読もうとする。つまり広告は、広告っぽいほど、消費者に[私には関係ない」と無視されるらしい。

タイトルを変えただけで 問い合わせが10倍になったケース 「経費節減は、まず航空券から/航空券予約前に、まずご一報を」これで3件の問い合わせ。対して、「まだ、ムダ金を航空券に使いますか?」(2行分に1行なので、その分文字Q数は上がる)にすると、30件問い合わせがあった。

江戸時代から長い歴史を持つ八味地黄丸(8つの漢方薬)のケース  さまざまな効能がある伝統薬を、カネボウ(現クラシエ)がこの薬を扱っていたが、新聞広告をしてもなかなか消費者の反応が良くなかった。そこで効能を中高年男性の悩み解決に役立つ頻尿と目のかすみの2つに絞り込んだところ、以前よりも売れ行きが上がった。

参考文献:『集客のルール』(岡本士郎著/明日香出版社刊)

『広告の巨人オグルヴィ語録』(デイヴィッド・オグルヴィ著/ 海と月社刊)

『あなたの会社が90日で儲かる!』(神田昌典著/フォレスト出版刊)

『戦略思考トレーニング2』(鈴木貴博著/日本経済新聞出版社刊)他

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2023年10月17日 (火)

存在感ある宝塚出身の女優たちとその生みの親

あるウェブに現在活躍中の天海祐希さん、檀れいさん、黒木瞳さん、真矢みきさん、真琴つばささんが登場しますが、その先輩格には大地真央さん、小柳ルミ子さんもいらっしゃいます。ご年配の方には八千草薫さん、朝丘雪路さん、寿美花代さん、扇千景さんも忘れられないでしょう。歌のお姉さん森晴美さん(8代目)、はいだしょうこさん(19代目)も。

宝塚歌劇団が設立された「宝塚駅」は、阪急電鉄が運営している鉄道事業においては、1907年(明治40年)に設立された箕面有馬電気軌道が、1910年(明治43年)310日に現在の宝塚本線・箕面線にあたる梅田駅(現在の大阪梅田駅) - 宝塚駅間、石橋駅(現在の石橋阪大前駅) - 箕面公園駅(現在の箕面駅)間を開業したときに始まる。

当時の箕面有馬電気軌道は阪神電気鉄道(大阪-神戸)など既に発展している都市間を結ぶ路線と異なり、郊外の田園地帯を走る路線であったため、乗客数は少なく経営基盤は貧弱であった。実質的な創業者である小林一三氏は鉄道需要を創出して経営を安定させるため沿線開発に力を入れた。

当時、人口増加が著しかった大阪市は過密化や工場の公害によって住環境が悪化していた。そこで郊外の自然豊かな沿線に住宅地を新たに作り、その居住者を電車で都心へと運ぶアイディアを考案し、路線建設時にもともと地価の安かった沿線の土地を買い上げ、日本初の住宅ローンを活用した戸建て住宅地の分譲販売を行った。

また終点の宝塚周辺では大阪方面からの客を呼び込むために宝塚新温泉、宝塚唱歌隊(後の少女歌劇団、現在の宝塚歌劇団)などの事業を多角的に展開し、現在では当たり前にもなった鉄道会社が沿線開発を行って、自ら鉄道需要の創出を行うという考えの基礎を作り上げ、これをモデルに関東では東急電鉄、西武鉄道などが追随した。

文化の創出者としての一面 1920年に梅田に5階建ての阪急本社ビルが完成すると、小林氏は、3階以上を本社事務所にして、2階を阪急直営の「阪急食堂」に、1階を「白木屋」にレンタルすることにした。白木屋とは売り上げ歩合制にしたが、これは、毎日の売上実績データを入手することでターミナルデパートの可能性を探ることができると踏んだからである。

そして、192711月には地下2階、地上8階建ての巨大ビルディングの建設に着手。1929年(昭和4年)415日、阪急電鉄直営の「阪急百貨店」が鉄道駅に直結する、世界初のターミナルデパートとしてオープンした。同時に、日本的パッサージュ「阪急梅田駅コンコース」もこのときに着工されました。

「パッサージュ」とは、19世紀の古き良きパリを感じられるレトロなショッピングアーケードのことです。宝塚歌劇団の創設、世界初のターミナルデーパート。そして、そのデパートの前身時代から広いスペースの食堂を開設し、食堂の常識を逸脱してライスのみの注文にも応ずるなど、新しい日本の文化の創出に果たした役割は計り知れません。

※参考資料:『日本が生んだ偉大なる経営イノベーター 小林一三』(鹿島茂著/中央公論新社刊)    Wikipedia:「阪急電鉄」「宝塚歌劇団」

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2023年10月 6日 (金)

バフェット流「投資法」「タイミング」「スタンス」投資法について

投資法について 「(株式市場は)短期的に見ると人気投票機のようですが、長期的には企業価値を計る計量機です。ウォール街では、「もちろん、それは安いですが、この先値上がりすることはありませんよ」などと言いますが、それはばかげてます。人々が投資で成功してきたのは、よい企業とずっと付き合ってきたからです。遅かれ早かれ市場は企業価値を反映します」

「自分が本当によく理解しているものに対して、ちょこっとしか手を出さないなんて、いいとは思いません。私は何であれ、ちまちまとやりたくない。なぜなら、ちまちまとやる理由は、あまり自信がないからですよね。だったら、そんな考えはすっぱり忘れて、自信をもってやれることをやります」

「投資はシンプルに 自分が良く理解している企業をいくつか選び、その中から企業価値や経営陣の善し悪し、経営難の期間の長さなどの点で基準に達しないものを排除」「勝つための秘訣 試合に勝つ選手は競技に集中している。スコアボードばかり気にする選手はダメ。株価を見ずに週末を楽しく過ごせる人は、平日もそうするとよいでしょう」

タイミングについて「勘とか虫の知らせとか、そういうものはまったくありません。私はただ腰を落ち着けて、ひとつの会社の将来展望はどうなのか理解しようとしているだけです」「我々にとって一番好都合なのは、よい会社が一時的なトラブルに見舞われたときです……我々はよい会社が手術台に乗った時に買いたいのです」

「私の考えでは、株を買ってよいのは、その企業のあらゆる要素を考慮したときに、その株が本来の価値よりも低い価格で売られていると思ったときだけです」「今日魅力的なものを、明日はもっと魅力的になるだろうと思って見逃してはいけません」「年に一度、正しい判断ができればそれでいいんです」

「景気が良いときというものは、シンデレラが舞踏会にいるときのようなものです。彼女は12時になったらすべてがカボチャとネズミになると知っています。でも舞踏会はあまりに楽しすぎて、周りにいる人々も立派だし、酒もどんどん出てくるし、ホールの壁には時計もない。それが資本主義の社会に起こったことです」

投資に対するスタンスについて 「世の中は、こんなお買い得品があるよ、と教えてはくれません。堀り出しものは自分で見つけなければならないのです」「企業を評価する際の、唯一の、最も重要な判断材料は、価格決定権です。競合相手に顧客を奪われることなく商品の価格を上げることができれば、それはとてもいい会社です」

「技の難易度はオリンピックでは重視されます。でも、ビジネスでは難易度は関係ありません。とても難しいことを成し遂げたからといって加点されることはないのです」「人がやっているから我々もやらなくてはいけない」という陳腐なセリフは、どんなビジネスでもトラブルのもととなります」

「第一に、市場に蔓延する不安は投資家にとって味方です。なぜなら、それはいいものが安く買えるチャンスが増えるからです。第二に、個人的な不安は投資家にとって敵です。そういう不安は根拠もありません。堅実な財務運営を行っている選りすぐりの大企業に、じっくり長期間付き合っていれば、必ずといっていいほど利益が上がります」

参考文献:『ウォーレン・バフェットの生声』(デービット・アンドリュー編/文響社刊)

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2023年10月 2日 (月)

知っておきたいクリーニング業法による依頼者保護

クリーニング店の約款に「スーツ上下など、一組になったものの片方が紛失した場合には、片方の賠償だけさせていただきます」「お客様が当店から品物をお引取りになって一か月以降は、いっさいの苦情は受け付けません」などが明記されていることがあります。普段は気にしていなくても、いざトラブルが発生すると納得できないこともあるでしょう。

たとえば背広のズボンだけなくなった場合、上着だけで着用できるものではありません。ですから、法的にはズボンが紛失したことで、上着の価値も喪失したことになり、このような場合はスーツ上下両方の価格から賠償額が算定されます。ワンピースのベルトがなくなったりした場合は微妙な感じがしますが、元々のセット商品ならスーツ同様の扱い。

多くの業者の約款では「引渡し後一ヶ月以上の面倒はみない」となっていることが多いようですが、「クリーニング標準約款」では、「引き取ってから半年以降は苦情を申し立てることはできない」となっています。また、「通常コースでの事故の際の賠償金額は5万円まで」も、注文ランクによってクリーニング店側が賠償額を限定することはできません。

クリーニング店のシミ抜きに関するエピソード  『日本一の秘書』という本の著者(リアリティを大切にするタイプ)は、食事時にワイシャツにシミをつけることが多かったという。必然、クリーニング店にお世話になることが多かったが、いくつか店を変えても、なかなか満足な仕上がりが得られなかった。そこで、評判のクリーニング店の腕前をチェックしようと思い立ったという。

実験のためには、派手にシミのついたシャツが大量に必要となる。以下は、衣類にシミがつくのをじっと待っていたときの体験なのだが、不思議な事が起こった。「シミをつけたい」と念じながらスパゲティを食べると、パスタの先からトマトソースがシャツに跳ね返ったりしないのだ。シミをつけたいと思えば思うほど、シミはつかない。

そこで、これまでの体験を思い起こすと、シミがつくのを恐れて、こわごわフォークを動かしていた。すると、てきめん、トマトソースはシャツの袖口や胸元にはねてシミを作ったのだ。この体験から著者はひとつ学んだ。パスタや赤ワインが出たときはおそれてはいけない。「シミなんかいくらついても構わない、といった態度で悠然と食べることだ」と。

コーヒーカップとクリーニグ代、どちらが高くつく  コーヒーを運ぶ熟練ウェイターは、体勢を崩したらそのままカップを床に落とすそうです。カップは消耗品であり、一杯分のコーヒーのコストもしれているとわかっているからです。ところが、新米ウェイターは、一杯のコーヒーを救おうと体勢を崩しながらも一歩も二歩も足を進めてしまうとか。

結果、お客さまの洋服にコーヒーをかけてしまうことになりかねません。大げさにいうと二次被害を引き起こしてしまうのです。店側が平謝りしなくてはならないわ、クリーニング代は出さなければいけないわ……といった大事に発展してしまいかねないのです。「損して得取れ」の諺は、まさにこのような状況を指しているのかも。

参考文献:『ニホンを洗濯する クリーニング屋さんの話』(鈴木和幸著/駒草出版刊)

『日本一の秘書』(野地秩嘉著/新潮社刊)

『「教え方」の教科書』(古川祐倫著/すばる舎刊)

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2023年9月18日 (月)

馬券の直前購入は的中確信を高め購入額増のリスクが・・・

的中確率五分五分の評価は、購入直前だと70%まで確信が深まる

1968年に古典的ともいえる埋没費用(投下費用や労力のうち戻ってこない費用、つまり意思決定に影響を与えず、考えても仕方のない費用)の実験が行われている。2人の研究者が141人の競馬愛好家を対象に実験を行った。72人が30秒前までに2ドルの馬券を購入したばかり、残り69人はこれから30秒以内に2ドルの馬券を購入するところだった。

これらの競馬愛好家に、自分の選んだ馬が勝つ可能性を7段階で評価するように求めた。すると、今から馬券を購入しようとする人たちは3・48と答えた「勝つのは五分五分」、これに対し馬券購入直後の人たちは4・81で、これは「七分の五勝ち目がある」となる。人は賭けた直後のほうが、自分の賭けがうまくいくとの確信を強めるらしい。

 

競馬データに関するアメリカの話

心理学者のポール・スロヴィックが賭けの胴元に、過去の競馬に関する88個の変数から、オッズを計算するのに使えるものを選んでくれと頼んだ。変数には、過去の成績に関するありとあらゆる統計的情報が含まれていた。その上で、彼ら自身が一番使えるといった10個の変数を与え、競馬の結果をそれで予測してくれと頼んだ。

次に、変数をもう10個加え、もう一度予測してくれと頼んだ。情報が増えても予測の精度は高まらなかった。一方、彼らの自信は目に見えて高まった。こうして情報は毒なのがわかった。「多いことはいいことだ」とはとても言えないのである」と。この事例は、私たちのビジネスシーンにも当てはまりそうだ。特にSNSにおいてはなおさらに。

 

雨のアスコット競馬場での出来事が男性モードを変えた

1889年にリッツは偉大なシェフ、エスコフェと組んでロンドンにサヴォイ・ホテルを開店。ここでのサービスのいくつかはいまに語り継がれている。安息日(日曜日)にディナーサービスをした。次のサービスは、スタッフにモーニングを着せたこと。3番目は、客にもレストランでの正装を要求したこと。4番目は、男性を同伴しない女性を断った。

世界で一番在位期間の長いビクトリア女王の皇太子の好みを、リッツは本人よりもよく知っていた。なお、社交界の中心でおしゃれなこの皇太子が、雨のアスコット競馬場でズボンの裾をまくり上げたところ、翌日アスコット競馬場に現れた紳士がみんなズボンの裾を捲り上げていて、背広のズボンの裾の折り返しはこのときに始まったとの伝説がある。

 

武豊騎手に影響を与えた競馬学校のある授業

先生が馬場の周りから取ってきた季節の花を活け、掛け軸を掛け、水を汲み、茶道具を用意し、縁高の重箱に和菓子を盛りつけて準備完了。一列に並んで畳の上に正座しお辞儀、帛紗の扱い方、道具の呼称と扱い方。立ち振る舞い。いただき方…そして何よりも、自分の心との向き合い方、馬へ、人へ、すべてのことに感謝する気持ちの大切さを学びました。

 

※参考文献:『人生に必要な心理』(エイドリアン・ファーナム著/近代科学社刊)

『ブラックスワン上』:(ナシーム・ニコラス・タレブ著/ダイヤモンド社刊)

『サービスの本質』:田辺 英蔵著/ダイヤモンド社刊)

『「勝つ」ための思考法』:武豊著/双葉社刊)

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2023年9月11日 (月)

当面の課題を、偉大な先達はどのように解決するか?

Catchy/クロスメディア・パブリッシング刊の『AIが「答えの出ない問題」に答えてみた。』という本があります。どちらかといえばITに疎いブログ投稿者は、Chat GPTの勉強のために多くの関連本の中から、この本を最初に購入しました。歴史上の人物を回答者に見立てた内容は、とても分かり易く参考になりましたので、その一部を紹介します。

Capter12 チンギス・ハンが営業部長だったら…

「どうしたらもっと早く売上を伸ばせますか?」の問いへの回答

モンゴル帝国の支配者としての私の経験では、時代や状況によって戦略的かつ計画的にアプローチすることが重要です。1206年、モンゴル全土を統一する際、私は商人や捕虜など他の情報源から情報を集め、敵の強さと弱さを十分に把握しておくようにしました。これによって、自分の成功が抵抗や通行の妨げにならないと判断した場所について、十分な情報を得た上で決断することができたのです。そして、相手のセースルポイントを理解した上で、自分の仲間にとって意味のあるものを提供し、競合製品を模倣しつつも、優位に立つために必要な修正を加えていったのです。

他人の成功に目を奪われず、自国民の需要に合った製品を作ることで、経済全体が活性化し、売上や税収が大幅に増加したのです。また、忠誠心や報酬のシステムを認識し、私と戦士の間に信頼のチャネルを育成することで、より熱心な顧客を生み出し、最終的に私の支配下にある地域全体でさらに大きな成果を達成することができました。

Capter3 徳川家康が財務大臣だったら

「大臣として、貯蓄と投資どちらを推奨しますか?」への回答 

賢明な人は、貯蓄と投資の両方を考慮する必要があります。まず貯蓄は、支出する金額と貯蓄する金額を決めて管理することが大切です。そうすることで、経済的な安定が得られるだけでなく、慎重に責任を持って家計を管理することができるようになります。投資に関しては、経済と市場を総合的に理解した上で、賢明な判断を下すことが重要です。例えば、私は勇敢で、その場その場の戦術的判.断で戦局を変える能力があっただけでなく、忍耐力、知性、賢明さをもって長期的な財政投資を行ったことで知られています。私は同盟関係を築き、海外経済の動向を把握し、軍隊を迅速に輸送するための道路や河川システムを整備。武器を備蓄し、さまざまなシナリオを想定して複数の不測の事態に備えた。

現代では、貯蓄と投資は最適なリターンと安全性のために手を取り合って行うものです。たとえ給与の一定割合であっても、すべての社会人は退職金口座を持つべきです。この資金をどう運用するかは、個人の好みによります。また、ライフスタイルや景気動向に応じて、借金を減らしたり、貯蓄を増やしたりすることも積極的に行いたい。

結局のところ、貯蓄を好むか投資を好むかは、その人の金融に対する考え方次第。どちらのアプローチも安定性をもたらしながら、先の計画を立て、市場のトレンドが正しい方向に向かえば、報酬を得ることができるのです。貯蓄と投資のどちらを選択するかは、最終的には、投資ツールに関連するリスクとリターンのレベルを選択することになります。

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2023年9月 1日 (金)

アドベンチャー精神はどのように育まれるのか?

子どもが果敢に新しいことに挑み、冒険することができるのは、失敗しても守ってくれる、自分には帰る場所があると思うことができる「安全基地」があってこそだ。安全基地があることで、目新しいこと、不確実なことに対しても意欲的に向き合おうという気持ちが起きる。

この「安全基地」の概念は、もともとは子供と保護者間の問題だった。 「安全基地」というのは、イギリスの心理学者ジョン・ボウルビィが提唱した理論「愛着理論」に基づく考え方。人間は生まれたときから目新しいことに挑戦することで、成長を遂げる。でも、新しいことにチャレンジするには、意欲が必要だ。その意欲を支えるのが、会社での上司と部下との関係、教師と生徒の関係にも通じる安全基地の概念なのだ。

ボウルビィが発見したのは、子どもの発達にとって父母などの保護者が与える心理的な「安全基地」が不可欠であるということだった。問題行動を起こす人の多くに、どうも幼い時にこの安全基地となる環境が欠けていたらしい。そこで、保護者が子供たちが幼いころに安心感を与えることが、いちばん大切なのだとボウルビィは提唱した。

山で亡くなる登山家の8割が、下山のときに遭難する  世界最高峰のエベレストをめざす登山家には、登頂前に、必ずやっておかなければならないことがあるそうです。それは「次の目標を立てること」。エベレストは登山家にとって、最も厳しい山です。山頂までの登山の過程があまりにも苦しいために、山頂に立ったときに、もうこれで思い残すことはない、と思ってしまうことがあるのだとか。

そのため、下山のときこそ、必ず生きて帰るという強い意志を持つことが必要になります。生きて帰ったら自分の体験を本にするとか、自分の記録を塗り替えるような次世代の登山家を生み出す学校を作るとか、まったく新しい冒険に挑戦するなど、生きて帰る理由をきちんと持ってから登らないと、登頂後、すぐにバーンアウトしてしまうのだそうです。

ソフトドリンクのサンプル提供実験から  実験前に、「あなたは冒険心のあるタイプで、新しいことを試すのが好きですか?」と尋ねると、ほとんど全員(72人中70人)が「はい」と答えました。その後連絡先を尋ねると75.6%の人がメールアドレスを教えてくれました。ところが、同じテスト「無料サンプルを差し上げますので、メールアドレスを…」では、33%しか教えてもらえなかった。

なお、本稿は830日「冒険家の日」にちなんでいますが、この日は、1965年(昭和40年)同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊がアマゾン川の源流から130kmを世界で初めてボートで下った日であること、もう一つは。1989年(平成元年)に海洋冒険家の堀江謙一氏が世界最小(全長2.8m)ヨットで太平洋単独往復を達成した日でもあります。

参考文献:『化粧する脳』(茂木健一郎&恩蔵絢子著/集英社刊)

『元気になる法則』(福島正伸著/中経出版刊)

『影響力と説得のための革命的瞬間』(ロバート・チャルディーニ著/誠信書房刊)

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