発想力研修

2024年2月29日 (木)

日清食品「カップヌードル」の販売戦略

20世紀は世界中が物質的繁栄を求めてモーゼンと走り続けた世紀である。で、そのレースに見事、わが日本は上位入賞を果たした。が、食べ残しのゴミの山に埋まって暮らす僕らに、カップヌードルのCMは、あえて「hungry?」と問いかける。そう、ハラは一杯でも、ぼくらは実はすごくhungryなのかもしれない。『天野祐吉のCM天気図傑作選』より

1992年スタートの「カップヌードル」テレビCMhungry?」シリーズは、単純で明るいユーモアが大評判になり、ヨーロッパ、香港、ブラジルでもオンエアされ、人気を博した。そして93年、広告業界で世界最高のコンクールといわれるカンヌ国際広告映画祭 (40) において、同シリーズの「シンテトケラス篇」と「モア篇」がグランプリを獲得。

オズボーンの9つのチェックリストと「日清食品」「カップヌードル」

転用(Put to other uses):高槻工場が線路沿いにあったことから、工場の屋根の上に「魔法のラーメン」などと書いた大きな看板を取りつけた。

応用(Adapt):てんぷら料理にヒントを得て、油を使った乾燥処理の方法を講じることにした。

変更(Modify):カップヌードルは発売当初売れなかった。経団連に持ち込み試食会をして感想を求めたところ「カップの中にめんを入れるなんて邪道だ。日本の今までの食生活を冒涜している」とか<麺をフォークで食べるとは、それも歩きながらとは行儀が悪い」、「せいぜい災害時の非常食かレジャー用で、たくさん売れるものではない」といった具合に酷評される。問屋筋でも「百円とは高いのと違いますか」と熱心に売ってくれそうもない雰囲気。そこで安藤は問屋ルートへ流すよりも、消費者に直接ぶつけ、反応を見てから市場へ流す作戦をとる。

拡大(Magnify):チキンラーメンの競合商品の乱立で苦労した経験から、カップ麺は創業者利潤をしっかり確保できるように、茨城県藤代町に31千平方mの土地を確保し、30億円かけてカップヌードル専用の関東工場を完成させていた。模倣を常とする業界で、スタートから大きく引き離す作戦だった。

縮小(Minify):ラーメンの屋台に並ぶ時間を節約できないか。

代用(Substitute):機内食のトレイの中に素晴らしいものを見つけた。直径45センチ、高さ2センチほどのアルミ容器である。マカデミアナッツを入れ、紙にアルミ箔をコーディングした蓋できっちり密閉してある。いまではジャムやママレードの一回使用分が詰められたりする、あの容器である。当時、日本では見かけないものだった。

置換(Rearrange):学校の給食をパンからめんに置き換えられないか

逆転(Reverse):めんを容器の中に入れようとするから進まないのだ。中身を下に置いて、逆に容器を上からかぶせたらどうだろう。面の塊の上にカップをかぶせる。くるっと一回転して落ち着かせると、めんは見事に中間保持されていた(『奇想天外の発想』)

結合(Combine):オロナミンCの命名は、大塚製薬の「オロナイン軟膏」と武田薬品の「アリナミン」の頭とおしりを結合したものと、大塚正士と語っている。

※参考文献 『天野祐吉のCM天気図傑作選』(天野祐吉著/朝日新聞出版刊)

『わかりやすいマーケティング戦略』(沼上幹著/有斐閣アルマ刊)

『安藤百福の【一日一得】』(石山順也著/KKロングセラーズ刊)

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2022年12月18日 (日)

「紙ナプキン」が生み出した想像を絶する物語

格安航空の嚆矢・サウスウエスト航空は、テキサスの企業家ローリン・キングと銀行家のジョン・パーカーが1966年に思いついたアイディアに始まる。そしてサンアントニオにあるセントアンソニーズ・クラブで、ある晩弁護士のハーブ・ケレハーとクライアントのローリン・キングが飲みながらキングがそこにあった紙ナプキンにペンを走らせた。

キングが描いたのは、マルが3つとそれらを結ぶ線(三角形)。そして頂点のマルに「ダラス」、左下のマルに「サンアントニオ」、右下のマルに「ヒューストン」と書いた。テキサス州の3都市を結ぶ航空会社を作ろうというのだ。これだけでビジョンを理解したケレハーは、法務のコンサルタントとして契約(後にCEOとなる)。

1967年、ふたりはサウスウエスト航空を設立し、米国における飛行機の利用に対する考え方を大きくかえるとともに、世界的に評判の高い企業文化を作り上げていく。文化の中には指定席をなくして予約を簡素化するなど徹底したコストカット施策が含まれ、競争力を強めつつ路線を全米に拡げ、やがて世界初の格安航空会社となった。

次は、日本の話。本ブログの20221111日の「稲盛氏の著書『実学』に学んだ3つのこと」でも取り上げた8月に亡くなられた稲盛氏の再登場です。稲盛さんは京セラ創業者であり、苦境におちいったJALこと日本航空をわずか3年半で立て直し、再上場を果たした名経営者として知られていますが、もう一つ偉業を成し遂げていらっしゃいます。

それはNTTの前身である日本電電話公社が独占していた通信事業に、民間会社が参入するという、当時としては無謀ともいわれた挑戦をし、今日のKDDIを創業したことです。この稲盛氏が、第二電電といわれた新しい通信会社の立ち上げを模索していたある日の会合で、紙ナプキンが重要な役割を果たしました。

参加者の一人に稲盛氏が「巨人電電公社を相手に通信自由化を果たすには…」と聞くと、相手は紙のナプキンを広げ1本の線を引き、線の両端に東京、大阪と書いた。「やるなら長距離。カネのない新規参入者が狙うなら通信料が多い東・名・阪。ここに光ファイバーを敷設して法人需要を取り込む」。この説明に稲盛氏は大きく頷いたとのこと。

最後は、3人の巨星のエピソード。ジェフ・ベソスは仲間たちと食事をしながら紙ナプキンに記した「会社の運営のモデル」を示し、ピカソはカフェの紙ナプキンへの「落書き」に2万ドルを値付けし、13歳のリオネル・メッシとバルセロナとの「契約書」は、バルセロナのコーチをしていたレシャックとのカフェで交わした紙ナプキンだった。

参考文献:『このマーケターに学べ』/『ビジネスと人を動かす 驚異のストーリープレゼン』/『起業の天才』/『ビジネス思考実験』/『その「決断」がすべてを解決する』/『大切なことはみんなピッチで教わった』

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